『協う』2009年2月号 書評2
中山 洋 編 「佐藤日出夫の協同組合思想と実践」
辻 由子(市民世英活協同組合ならコープ副理事長)
先の見えない金融危機と経済不況の中で、私たちは今言いようのない閉塞感にとらわれている。 こんなとき生活協同組合がどのようにして暮らしを守り安心の支えともなっていけるのか、社会的期待が大きくなればなるほど、それはまさに重要でありながら同時にとても難しいことにも感じられる。 本書はそんなことを考えながら過ごした年の瀬の物思いのひとときに、明るい光と勇気を与えてくれた書である。
山形県の鶴岡生協の創業者であり指導者であり、全国的にも生協運動に大きな足跡を残した故佐藤日出夫氏が、生前に各種の講演などの諸資料に残した記録を、編集委員会の膨大な整理作業を通してまとめられている。 各稿は独立していて資料をほぼそのままの状態で収録しているため、予備知識に乏しく当時の状況に疎い者には読み解くに多少労力を要したが、読み進むほどに指導者としての佐藤氏が協同組合に求め続けたものと実践の中身を知ることができ、そこから夢とロマンに満ちた力強いメッセージが伝わってくる。
何よりも圧倒されるのは 「地域住民のくらしに全責任を負う」 という言葉である。 「議論よりも実践で可能性を切り開く」 として、景気後退や雇用不安という現在とよく似た当時の社会情勢下で、活力を失くした地域経済を協同の力で活性化するために、鶴岡生協は商品供給事業のみならず、様々な試みにチャレンジし続け、後の90年代に入ると共立社生協として 「総合生活保障」 を掲げるに至っている。 「地域住民自身が解決の方向を目指す連帯を」、「生協でなしうることを一つ一つ実践的に積み上げていくことが生協運動の可能性を拡大し、生協運動をより社会に広めていく」 ――これらは、地域に根ざした社会的活動を常に自らの課題とする私たち現役世代への言葉としてそのまま聞くことができる。
本書に綴られた、鶴岡生協の創立から地域の連邦である共立社生協への発展の歴史には、「生協の命は運動である」 という確信と、時代の課題を的確に捉えながら組合員のくらしを守る視点での運動論が貫かれている。 参加と組織強化を図るため、ばらばらに存在する組合員を 「班」 にまとめ運営と経営の基礎単位としたが、これが全国にひろがり当時の生協組織のスタンダードとなったことも巻末に添えられた論考をあわせ読むことで知ることができた。
この班と組織活動を進めるにあたっては、組合員中心の委員会などによって組織運営を確立していく一般的な流れをあえて選ばず、あくまで専従者が直接班活動にかかわり、プロの組織担当としての高い能力を持つことを要求している。 「指導と体制上の責任は常勤職員」 であり組織・運動 組合員の暮らしから決して離れてはならないと教え続ける。 組合員組織と業務組織が明確に分化された今日の生協から見ればそれは別世界の話のようでもある。 しかし生協で働く人々が組織の方向性を熟知し組合員をリードできるまでの能力を持つことは、組織体制に拘わらず大変重要なことである。 専従職員へのこれらの指導書は、時代、地域、組織の成立ちや文化を超えてもなお力強い響きを持っている。
1978年の 「大資本の進出」 の際には一丸となって 「迎え撃った」 いわゆる 「ダイエー闘争」 のエピソードが随所に出てくる。 これに象徴されるように企業優先社会へのアンチテーゼとして生協があり、その活動は抵抗運動であることを明確にしている。 荒波にもまれることなく遅れて生協に参加した私のような組合員理事の感覚では、その攻撃性には戸惑いを禁じえないが、その本質的なところは私たちが肝に銘じておくべきものである。 たとえば次の言葉はどうであろうか。
「(事業連帯でマスメリットの追求も必要だが) 逆に大資本のしつらえた土俵のとりことなり、消費者運動体という根本的な性格を見失いかねない問題を孕んでいることを忘れてはなりません」。
大規模化と競争激化の中で行く手を見失いそうなときも、佐藤氏の残した言葉の数々は私たち組合員を元気付けてくれそうである。 本の厚みを見れば取りかかりにくいが、「どこからでも・開いた頁だけでも・迷ったときに」 読む本として、手元に置きたい一冊である。(つじ よりこ)