『協う』2008年12月号 私の研究紹介

 

ホームレス問題を「支援」と「研究」の狭間で考える

第11回 中嶋陽子さん
(大阪市立大 都市研究プラザ教員、当研究所研究員)


大学では何を専攻されたのですか

 私は同志社大学の経済学部にすすみ、マルクス経済学を学びました。 経済学部の全学年で女子学生は、二桁いるかいないか、という時代です。 それには、父親の影響があったと思います。 父は、奥丹後の農家の次男坊として生まれましたが、その後、ちょっとした事から右手に大きな障碍を負いました。 父の親と兄は、障碍を負っても一人で生活できるようにと、山や田畑を売って、当時農村では珍しかった大学進学を勧めました。 それは、父にとって逆に重荷だったようですが、大学にいったことで高校の教師になることができました。
  今、ホームレス問題に関わって改めて父のことで思うのは、障碍者が自立的に人生を歩むには、家の経済力や家族の絆が、どの程度の強さだったかで、大きく違ってくるものだという実感です。 跡継ぎ=長男第一の風潮の時代に、両親や長兄の配慮で、次男が優先的に都会に出て最高学府に進めたということは、経済的にも、家族愛の面でも、大変恵まれた条件でした。 しかし、実際には、父はプレッシャーに負けて一時は実家に戻り、3年間農業を手伝いながら、ノイローゼになって悶々としていたといいますから、現代の引きこもりや心身症のかたたちと通じるものがあります。
  結局、父は同志社大学にすすむのですが、当時の父の教官が実は新島襄の直接の教え子で、その先生の話として父から聞いたのは、「新島さんは人を絶対に差別せず、当時の学生の誰に対しても'さん'づけを通した」 という話でした。 そのような逸話や社会時評もよく聞かされていたので、同志社大学に親しみを感じ、経済学部を選択したのではと思います。 高校の物理の先生から地動説が承認される苦闘の歴史を教えて頂いたときも感動しました。 父は教職員組合の中心メンバーでもあり、社会問題は、家族団らんの際に母をうんざりさせる話題でしたが、私には、まだ見ぬ外の世界の冒険物語のようでした。

大学ではどのような研究をされたのですか

 大学院ではマルクス経済学の疎外論を学び、また資本論のサークル 「水曜会」 に所属しましたが、主に原論研究でした。 マルクスの思想的変化を追う事は、大変面白かったのですが、現実を知らないまま抽象的な思考に没頭するには、血の気が多すぎたのか、論文が書けずに悩みました。 この頃、非常勤講師をしながら今の夫と結婚したのですが、彼はまだ学部卒業直後の若さだったので、私が、世帯主として3~4種類の仕事をかけもちして働くことになりました。 朝刊の配達もやりました。 当時、この研究所にも関わり始め、浜岡先生のコメントに魅力を感じて以来、居座っています。 研究所で組合員調査を手伝ったことは、いまホームレスの人々を生活全体からとらえる上で、大変役にたっています。 とはいえ、ホームレス問題にかかわる直接のきっかけになったのは、その後のイギリスでの一年間の体験でした。

イギリスの体験をお話ください

  1994年~95年にかけて夫のイギリス留学に同行したのですが、イギリスはちょうどブレア首相に代わる直前で、それまでのサッチャリズムによるイギリス社会の荒廃ぶりに驚きました。 日本ではバブルが崩壊していましたが、その影響はまだ顕著には現れていませんでした。 規制緩和政策もまだそろい踏みしていませんでした。
  私が通った英会話学校では、突然の閉校事件がありました。 収益を重視しない貴族所有の経営から、銀行家の所有に変わった途端に、効率優先となり、大半の英語教師がリストラされ、パソコンによるブース中心の学校運営になる、という状況を目の当たりにしました。 一方で、地下鉄の駅周辺にはホームレスが非常に多いことに驚き、英会話学校のフリーディスカッションでは 「なぜイギリスは先進国なのにホームレスが多いのか」 と議論をしたものです。 その答えは、結局 「サッチャリズムの負の遺産」 に落ち着きました。 民営化や競争激化によって、失業者は多く、シングルマザーも増え、片親が早朝仕事に出た後、子どもが朝1人で個食を摂る実態も、ホームステイをしている友人からよく聞かされました。 精神病院を、受け皿整備が不十分なまま閉鎖したり、刑務所の民営化も行われたりしていたことなどは、まさに今の日本を10年先取りする現象でした。
  また、非白人よりも白人のホームレスが多いことは常識を覆すものでした。 その理由としては、移民家族にあっては、困窮状態でも家族の結束が強いために、ホームレス状態に対して抑制効果があるのだと言われていました。 当時、イギリスでは労働党や保守党以外にも小さな政治グループがたくさんありました。 その中で、私はソーシャリスト・ワーカーズ党の公開ミーティングによく参加しました。 彼らは、毎年夏に大掛かりな反ナチズムのサマースクールを開くのですが、これにはヨーロッパ各地から学生や若者が集まり、ロンドン大学も校舎を貸したりしていました。 当時の論壇やジャーナリズムのテーマは、国内では貧困問題、国際的には欧州大陸で根強いとされるレイシズムやナチズムへの強い警戒心と旺盛な批判精神でした。 社会問題とともに、活発でレベルの高いジャーナリズムが存在することが印象的でした。

イギリスの体験は活かされたのですか

  まず、日本でどうホームレス問題に関わるか悩みましたが、大阪の西成区にある釜ケ崎で、しばらく学びました。 きっかけは、自宅近くのルーテル教会が開催する釜ケ崎支援のバザーに参加したことです。 その教会では、越冬の時期に釜ヶ崎の夜回りを持ち回りで行っていたので、それに参加しました。 その時は参与観察という態度で参加しましたが、それだけではなかなか本当のことが分からないのではないか、一歩踏み込んだ実践によっていろいろな事実関係をつかみ、それらを分析することで本当のことが見えてくるのではないか、と考えるようになりました。 また、そこに参加している人たちの個性や魅力が、イギリスで関わった人たちと共通する何か-おそらくは、自分で考え、潔く行動する、そんな気風でしょうか-が、あるように感じ取れました。

釜ケ崎ではどのような活動をされたのですか

 ルーテル教会の秋山牧師やカソリック教会の本田神父の凛とした人柄に人間的な奥行きを感じ、その後も夜回り活動に参加しました。 その他には、釜ケ崎にある簡易宿泊所の跡継ぎとなる若手や、釜ケ崎に職場を持つ人たちが、共に街の当事者だという立場で 「街づくり」 をする活動があり、これにも参加しました。 その活動は、ホームレス状態の人たちの福祉自立を実現する入居先として、かつての簡易宿泊所を、共用スペースと支援スタッフつきの 「サポーティブハウス」 へと、つくり変えました。 そこで当事者が 「住所」 を持つことによって、数千人の人たちが福祉自立することができたと言われています。
  釜ケ崎と京都を行き来していた頃大阪市立大学の教員から新設される都市研究プラザへのお誘いがあり、3~5年の間、勤めることになりました。

都市研究プラザとはどのようなところですか

  都市研究プラザは2006年に大阪市立大学が設立したもので、1928年大学創設時にオープンした経済研究所などを統廃合してつくった新組織です。大学としては、海外や国内にサテライト、現場プラザを作り、それらの現場でおこなわれる実践へのバックアップや、共に実践するなかで得られた知見などを大学にフィードバックしていくという趣旨でつくられた、少々ユニークな研究機関です。そこで掲げられている理念は、色々あるのですが、私の理解する限りでは、プラザに関係する研究者はNPOに深く関わっている人が多く、都市研究プラザでは、このような研究者を現場プラザの「現場型研究者」と呼んでいます。地域での様々な実践や事例を集約し分析することによって、新たに21世紀の都市における多彩な問題や課題が先取りキャッチしているのではないかと思います。一方、人的構成でみれば専任の研究者は極く少数で、多くは有期や単年更新の比較的若い研究者で成り立っているというのが、厳しい現実もあります。
 

ホームレス問題を研究者としてどのようにみておられるのですか

 ホームレス状態の人々に対し、医療・生活・福祉の複合的サポートを目的にした 「健康よろずプラザ」 のネットワーク形成が一定の成果を見た時点で、大学から 「京都プラザ」 として位置づけられるようになりました。
  しかし、名前はあっても予め予定調和的な理念があるわけではなく、現状では財源もついていません。 次の段階としては、事業化とボランティアとの兼ね合い・バランスを動きながら考えていこうかと思っています。 京都では、大阪のように多様な団体や多彩な人材が草の根レベルでダイナミックに実践されているわけではありません。 20を超える中小規模の支援団体や関与団体があり、個々に支援活動をおこなっていますが、その団体間の連携がしっかりとれているわけでもありません。 しかし、支援サービスを実のあるものにすることは、京都のネットワークを、それぞれの持ち味を生かしながら、当事者に対して、より快適に機能させることにほかなりません。
  生活困窮者全般の自助・支援活動は多彩にとりくまれていますが、ホームレス状態の人々への支援をメインに踏み込んだ活動をしている団体は、全国的にもそう多くはありません。 ホームレス自立支援法からまだ5年ですので、逆にいえば、ホームレス状態の人々への無策に対して、国も市民社会も、社会問題として正面から取り組み始めたのは、ごく最近だということです。 学問的には、これまでも社会学ベースでは貧困を取り上げていますし、過去にも著名な多くの蓄積があります。 が、ホームレス状態について、正面から包括的に研究することは稀でした。 そういう意味ではニュープアやホームレス問題は新しい研究分野といえます。

ホームレスにおかれている人たちの実情についてお話ください

  私たちが最近対応している事例は、仕事はあっても家がない人たちで、この人たちは、生活保護水準レベルに近い収入をえられていますが、現実には、路上とネットカフェやサウナを往来しています。 この人たちの問題は、住居の問題なので、敷金・礼金などまとまった資金を用意することが必要です。 そのためには、一旦生活保護を受けて居宅を確保し、経済自立できるための準備期間が必要です。 住宅政策が望まれます。
  もう一つのグルーピングとして、病気なのに空き缶拾いで収入を得たり、病院にいこうとしなかったり、自発的には生活保護を希望しない人たちがいます。 なぜかというと、まず、ホームレス状態が長くつづくほど、公的機関や病院の敷居が高く感じるようになるからです。 その背景には、当事者が社会に対して負い目を感じるといった心理的な面もありますが、それ以上に、生活保護を申請すると家族に問い合わせがいくので、複雑な気持ちになるわけです。 このような人たちの家族は、もはや壊れていたり、断絶状態になっていたりで、様々な事情を抱えている人が多いということです。
  さらにいえば、福祉事務所にいくと、まず 「仕事をさがすように」 といわれて、公的施設 (自立支援センター) への入所を誘導され、センターに寝泊りしながら就職活動をしますが、実は入居期限が決まっています。 就職が不可能だった場合は再路上にしない、と市は言っていますが、実際には、その手前の求職中の段階で困難が乗り越えられず、センターから"自主退所"したりする場合も、大変多いのです。 そうなると、またホームレス状態に戻るわけですが、もうその時には、以前住んでいた小屋は、土木課のすばらしく機敏な行動によって周辺にテープがはられたりパイプが這うようにめぐらされたりしているために、使えなくなっています。 こうなると、野宿生活を一から建て直すことになり、いよいよ、生活保護の申請は、縁遠くなるばかりです。 こうして、自分の小屋を維持して、空き缶集めをしながら月々3~4万円で定住生活するようになる人たちも少なくないのです。 途中で自主退所する人を、わがままだ、辛抱が足りない、と経験者でない者が一方的に責めるのは間違いです。 なぜ、小屋住まいや自主退所が、結果的に選択されてしまったことになるのか、その理由を考える必要があります。 多くの困難や複雑な条件を抱えた中で求職活動をする入所者に対して、支援スタッフの人数が少なく、就労支援の開発も不十分なのが、原因です。
  では、ホームレスの人が病気になった場合はどうかというと、京都では、医療券を発行して受診できるようにしています。 むしろ、いざ退院となる場合が問題です。 入院期間は生活保護が掛かっていますが、退院と同時に保護を廃止する場合がよくあります。 そのまま路上に戻され、M. ムーアの 「シッコ」 のような現実が、しばしばあります。 その理由は、病院にある場合と福祉事務所にある場合、どちらもありえます。

ホームレス支援で大切なことは

 それは、同じ生活困窮者といっても屋内で生活している場合とそうでない場合では、支援方法が異なることです。 長い間市民社会と離れてくらしていると、考え方がずれたりする場合もあり、当人たちも復帰した時に世間と上手につきあうことができるのか、又受け入れてもらえるのか、内心色々と心配している点なのです。
  また、当事者が市民社会に再復帰する過程に際しては、様々な市民側の支援グループと公的機関が連携し、まずは、お互いの持ち味を知ることが重要です。 市民セクターと公的セクターが、その問題や課題を整理統合していくことが鍵で、そのためには市民セクター側が現場の実情を把握することから始まります。 その上で各々の特質と役割に照らして相互の連携をどうつくっていくか、ネットワーク形成へのこだわり自体が大切です。

今後の研究課題をお話ください

 今の日本のホームレス支援は、自立支援センターに入って就労指導を受けるか、生活保護を取得してワークフェアにつなぐか、位しかありません。 当人が市民社会に再度合流するために必要な方策は、個別のニーズに即応できないばかりか、ほとんど提示されていない状態です。 当事者が自立するためには、具体的に何が不十分で、どんな支援サービスが優先される必要があるかなど、個別の事例分析を重ねる中で一定の一般化が可能な方策を抽出することが課題です。 それには、ホームレスに陥りやすい条件の重なりというのを詳細に検討してゆき、一定の傾向を読み出す作業が必要です。 たとえば、一つは低学歴にあるといわれています。 他には生育暦、つまり養父母との関係など複雑な家族履歴、三つ目は精神疾患や発達遅滞など軽度の困難をもっているが、社会生活はできる場合などが考えられます。 読み書きが不十分だったり、ほとんどできない場合も珍しくありません。 本人が育った経済的条件や家族関係の基盤、生まれ持った肉体的精神的な健康度いかんでホームレス状態に陥りやすいかどうかの分岐になっています。 いいかえれば、いかに日本の社会保障制度は、家庭や個人の 「均一性」 や 「強さ」 に依存しているかということです。 家庭も個人も大量生産時代の一商品のように一定の強度や均質的な機能などが一様に想定されているかのようです。
  このような研究は、なかなか実情をつかみにくいという点はあります。 社会の底流で埋もれて表出しにくいものに光をあて全体像を明らかにしていくことが、第一段階でしょう。 実効性のある政策提言を陣地戦とみなして工夫するのが第二段階。 いずれも、実践家・研究者が単独ではなしえないので、ヒューマンサービスに関わるネットワークの形成と、踏み込んだ議論を異分野の専門家の中で行うことが前提です。
  最近、病院から居宅につながらずホームレス生活を余儀なくされているような事例がいくつかありました。 末期がんの女性が、抜糸もしない状態で路上に出されていたことさえあります。 制度と運用の顕著な乖離が見られます。 そのためには、関係機関の実情を把握しながら調査を進めていくことがポイントです。 現実の世界では、支援組織、ケースワーカーのような公的専門家、病院組織、行政組織など、それぞれが連携する体制になっていないので、そこをどうしっかりとつないだり、ほころびをつくろったりするのか、という見極めをしながら、政策提言としてまとめていくことが研究者としての課題だと考えています。

なかじま ようこ 大阪市立大学 都市研究プラザ教員
主な所属学会:貧困研究会、社会医学会
主な研究テーマ:生活困窮者を巡るヒューマンサービスのありかたとNPO/NGOの役割
著書: 「京都市内における健康支援ネットワークの立ち上げ」 季刊シェルタレス35号、現代企画室、2008年 など