『協う』2008年10月号 特集

特集 生協の「産直」を考える
  相次いで食品業界の不祥事が続いている。生協が取り扱う商品も例外ではなく、CO-OP商品では、牛肉コロッケ、鳴門産わかめ、手作り餃子での偽装、有毒物質混入事件が世間を騒がせた。それらを受け、『協う』107号では、CO-OP商品の「安全・安心」に関しての特集を行った。今号では、CO-OP商品と同様、生協事業の柱の一つである「産直」を取り上げる。食に対する「安全・安心」が叫ばれる中、果たして「生協産直」はどうあるべきなのだろうか。『協う』107号に続く、生協と「食」との関わり方を考える第二弾としてお送りする。


生協の「産直」は生産者とともに歩んできているか

上野 育子(京都大学大学院 地球環境学舎 博士後期課程 「協う」編集委員)

はじめに
  生協で生鮮食品を取り扱うことと産直の関係が深いことは周知の通りである。高度経済成長期には、安全・安心なたべものや生産地を求め、消費者-組合員-は産地・生産者探しに奔走した。生協の産直は日本の社会、組合員の要求の変化によって深化し続けてきた。そして、事業連合化が推し進められる昨今において、新しい生協の産直の在り方が模索され始めている。
  今号の特集では、日本生活協同組合連合会産直担当の壽原克周氏、JA総合研究所の櫻井勇氏、協同組合経営研究所客員研究員の今野聰氏、協同組合経営研究所の高橋英俊氏への聴き取り、『「全国産直調査」報告書(各回版)』を主に、現在多くの生協が取り組んでいる産直(1)の高度経済成長期以降の変遷を振り返って生協と生産者との関係をみていき、生協として今後どのような関係・取組みが必要か検証したいと思う。

1.産直の歴史
  終戦後間も無く協同組合間において産直運動は始まっており、1955年には酪農組合と生協の直結牛乳運動が活発化した。『協う』107号において取り上げた大山乳業と京都生協のように、1960年代は生乳を求めた産直運動が展開された。ここでは、1960年代以降、現在の団塊の世代が子育て世代であった頃からの産直をみていきたいと思う。

(1)産直活動の活発化
  戦後、高度経済成長期を経験した日本は、食糧を確保する時代から、選ぶ時代に変わっていった。1955年のGATT加盟により農産物の輸入自由化が促進され、また、農工間の所得格差が拡大する中で、1961年施行の農業基本法による選択的拡大政策では、畜産、果樹といった需要の伸びが大きい農畜産物を重点的に増産することが謳われた。所得の増加と共に、多くの国民が多種多様な食料を購入することができるようになり、いわゆる、嗜好品の消費が高まっていった。一方で、農工間の生産性格差是正のために農業基本法では、生産性の向上が掲げられ圃場整備や大型機械導入などといった農業近代化、機械化が推進され、農薬や化学肥料の使用が増加したのもこの時期である。レイチェル・カーソンが、農薬等を多用する現代の農業による環境破壊の実態を指摘した『沈黙の春』を米国において出版したのは1962年で、食品汚染問題を取り扱った有吉佐和子の『複合汚染』の新聞連載が始まったのは1974年のことである。消費者が自分たちの食べているものに関心を持ち、見直し始めた時期であり、生協もその例外ではない。
  1960年代以降設立され始めた地域生協の多くは、食に対する不安を持っていた人たちが多く参加していた。生乳だけの牛乳を飲ませたいと願う子を持つ母親がそのような牛乳を供給してくれる産地を求めていた。京都生協はその一例である。活動は全国各地で始まり、また広まっていった。安全で安心なたべもの-自分たちの足で探し、生産者のことがよくわかるたべもの-を求めた活動、それはやがて団体となり、生協となったのである。素性の確かな牛乳を希求して開始された生協産直での取扱品目は、やがて鶏卵や野菜、コメ等に広がっていった。

(2)事業としての産直へ
  生協が取り扱う農畜産物は卸売市場の流通を介さないものばかりであった。それは生協が求めるものと市場外流通で販売する生産者の農畜産物が合致したためである。生協と取引を始めた生産者の多くは、自らの農畜産物に価値を見出し、市場流通に不満を持ち、独自の販売、つまり、消費者と直結した販売を行っている人たちであった。生協が求める素性の確かな農畜産物は、生産地・生産者が明確で、農畜産物の栽培・肥育方法が確認でき、生産者と共に農畜産物の情報を共有し、話し合い、お互いが納得行く形で直接取引を交わすことのできるものであった。後の「産直三原則(2)」である。この頃の生協の産直は、生協の活動として、つまり、情緒的ながらも自分達が納得のいく農畜産物を求めた活動であったのである。そのため、「産直」と言っても、各生協によってその意味合いは少しずつ異なり(3)、それぞれの想いに沿った産直であった。
  市場流通を基本としていた農協も、1968年に、全販連(4)が市場外流通の青果物を取り扱う(つまり直販事業として)東京生鮮食品集配センターを埼玉県戸田市に設立し、関東の生協の中にはこの東京センターを利用する生協が出始めた。農協として市場外流通を認め、生産者と消費者との架け橋を始めたのである。東京センターは生協以外の小売店も利用するが、特に、生協との取引が多く、1975年には農協と生協が協同組合間提携全国研究集会を行うようになった。
  このような生産者と共に歩む「顔の見える」農畜産物を取り扱う生協の活動の評判が広まり、生協加入者数は鰻上りに増加していった。小さな団体であれば、小規模生産者との取引によって量を賄うことが出来るが、人数が増えれば、それだけ必要量も変化する。もちろん、一人一人、農畜産物を消費することの価値観も違えば、生協に求めることも違う。生協の活動であれば、形が悪く、不揃いの野菜でも、安全で、生産者の顔が見えればそれを受け入れ、一方で、当初の生協は規模も小さく、生産者としても本当に取引してくれるのかと疑心を抱いていたという。しかし、生協が大規模になれば、既存の生産者からの取引量では事足りなくなり、その上、異なる価値観を持つ組合員を納得させるためには、規格や基準の設定、流通合理化の徹底、需給量の調節等、どうしても産直を事業として成立させなければならなくなったのである。

(3)生協の大規模化
  日生協が各生協の食料品・産直の取組みに関して初めて横断的に調査を始め、『生協の食料品・産直の取組みと食糧問題に関する調査報告書』(以下、『報告書』)を出したのが1984年である。1980年代は日米の貿易摩擦が激化し、牛肉・オレンジ、さらにはコメの輸入自由化問題が取り沙汰されるようになり、バブル経済に入る年代である。このような時勢の中、当時の生協が抱え始めた課題は、『報告書』によると、産直を始めとする生協の食糧事業への期待が高まり、組合員数は年間60~70万人増加し、規模が拡大する一方で、自主流通米(主に生協が取り扱っていた産直米)と食糧管理制度との整合性や、CO-OP商品の基準や方針、生協組織に対する組合員の意識等の問題が顕在化し始めたとなっている。生協が大規模化する中で、産直に関して『報告書』の81ページに次のように記されている。「最近の産直展開の中で生まれてきている事例に、複数の生協が、共同・連携する形態がある」。また、84ページ以降に産直取引に関する困難点が述べられているが、第一番目には取引数量に関することが挙げられ、対応策として他の生協との連携が挙げられている。それは、1988年発行の『「第二回全国生協産直調査」報告書(5)』(以下、『各回報告書』)においても同様のことが述べられており、1980年代半ばから、生協の大型化、事業提携が始まり、経済的・社会的要因はあるものの、現在の事業連合化につながっていったと考えられる。その中で、『報告書』(1982年調査)、『第2回報告書』(1986年調査)から、回答した全地域生協での産直青果物の取引先の変化について記しておく。ただし、回答生協数は1982年調査が33、1986年調査が54である。1982年調査では、件数が多い順に、個人・グループ217件、農協135件、その他(卸売市場等)64件、農事法人29件、農民組合等23件、全農・経済連18件であった。1986年調査では、順に、農協460件、個人・グループ442件、その他95件、農事法人88件、農民組合等75件、全農・経済連65件となっている。この4年間で、農協、つまり、大規模な取引先との提携が増加した事を示している。
  さて、生協が大規模化した背景には、1980年代から共同購入以外に店舗を展開したことが挙げられる。店舗展開により共同購入で問題視されていた需給量の調節も可能となった。また、OCRシステムの導入や、ピッキングセンターの設立により、物流システムを高度化し、商品供給力を増大させ、組合員の要求に応える体制を整えていった。1990年に入ると、共同購入に参加できなかった女性や高齢者に的を絞った個配事業を展開させ、新たな組合員層の獲得にも成功した。図1は食品供給高と組合員数の変化を示したものである。1982年の産直供給高の統計はなく、また、注にあるように産直供給高は各回の「全国産直調査」のアンケートに回答した生協での合計額であるため、回答数は各回で異なり、単純比較できないことに注意していただきたい。しかし、このグラフから組合員数の増加と共に食品供給高、産直供給高も増加していることが分かる。需要量・要求を満たすために、先述したように、生協は取引先を変化させ、また、生産者も規模拡大、リスクを内包した形の作付計画、グループ化を行い、生協の産直に応えていったのである。次章で述べるが、紀ノ川農協もその生産者の一つである。

(4)バブル経済崩壊と事業連合化
  生協も経済・社会情勢の中で事業・活動している。1989年に株価が最高値を示した後、急落、1990年代はバブル経済の崩壊とともに始まったのは周知の通りである。景気の後退から、生協では低価格商品・CO-OP商品の開発が相次いだ。しかし、低価格が強みの量販店の経営戦略をなぞらえることは難しく、生協の経営は悪化していった。そのような中、生協の特徴であった産直に量販店が乗り出し、生協は産直においても量販店と競合する結果になった。生協の産直を手引きに、量販店ならではの産直が展開され、それを生協が追う形になり、生協は当初の産直-生産地・生産者が明確で、栽培・肥育履歴が確認でき、生産者と交流ができるもの-よりも、売上作り、システム作りに馳駆したのであった。需要量、組合員の農畜産物への要求に応えるため、産地を多数用意し、産地の開発や流通の外部委託、ロジスティックスなど技術面での強化が事業の中に取り込まれていった。
  経営が悪化し始めた各生協は、事務の効率化・短縮化のため事業連合化が助長されていった。事業連合化では、農畜産物以外の商品に関しては、開発、基準の統一を行い易く、また、量も確保でき、低価格で組合員に提供できる。単価は小さいものの、量を売って利益を得る経営である。しかし、天候に左右されやすく、また、同じものは二つと出来ない農畜産物にも基準を設け、組合員に等しく供給することは困難であった。そのため、多くの生協では、需要量を安定的に確保するためにJAとの取引を活発にさせたのである。
  そのJAにおいても、合併が進められていた。合併によって、農家組合員へのサービスの維持向上、事業の効率化、システム・基準の統一、競争力の強化等が可能になり、生協の産直にも応え易くなった。しかし、合併によって、組合員のJA離れ、産直に関しては、各生産者の意識や位置付けの違い、産直既存農家の懸念等といった問題が持ち上がっていたのも確かである。
  事業連合化が活発になった生協では、農畜産物の基準や方針の統一に向けて協議が進められ、青果物では日生協での「青果物品質保証システム」(2004年)につながった。一方で、「青果物品質保証システム」設定の背景には、1996年のO-157の集団食中毒事件を皮切りに、BSE(牛海綿状脳症)、環境ホルモン、残留農薬、2002年の産地偽装事件や無登録農薬事件等、食の安全・安心に対する組合員の憂虞がある。組合員に対してだけではなく広く一般に、生鮮食品を扱う生協としての責任を再考し、示す必要が早急に求められたのである。2001年に「生協農産・産直基準(6)」を設定、2002年3月に「たしかな商品研究会(7)」を設置したことがそれを物語っている。このように、生協では、事業連合化が図られる中で、統一された基準づくりが進められてきたのである。

2.生産者との関係
  生協の産直の歴史を見てきたが、生協の産直を当初から行い、現在でも全国の生協と取引する和歌山県の紀ノ川農協の了見(8)を踏まえながら、生協と生産者との関係に焦点を当ててみたいと思う。
  日生協は産直の位置付けを明確にし、より良い産直を築くために、1984年度より全国産直研究交流会(当初は全国産直研究会)を毎年開催している。交流会の年毎のテーマを表1にまとめたが、そのテーマで生協の産直に対する意味合いの変化を容易に察することができるため、表1も参照しながら進めたい。
  全国的に地域生協が産直を始めた頃、組合員は食の安全を求めていたわけであり、生産地、生産者、栽培・肥育方法に関してよく調べ、また、生産者と情報交換、協議を進めた結果、取引を始めていた。生産者も自分達が育てたものに価値を見出してくれる消費者を求めていたのであり、生協と生産者とはお互いに信頼し、交流を続けていた。交流会のテーマにおいても「運動・活動」といった言葉が含まれている。
  しかし、生協が規模拡大、事業連合化するにつれて、生協は産直を活動ではなく、「事業」として捉え始めた。それは、1988年以降の交流会のテーマをみても明瞭である。流通を効率化し、産地を選択し、組合員からみた農畜産物の基準や取扱の方針を作り、無論、産地への視察や交流を行っていたのは確かだが、交流型の従来の生協産直ではなく、商品重視型の生協産直に移行していったことは間違いない。前章において、1980年代、取引先が小規模(個人・グループ)から大規模(農協)に移行したことを示したが、事業としての産直が進展する中で、基準・規格の統一、量の確保を実行できる生産者を求めたことを物語っている。システムや物流の外部化等によって、生産地との関係は間接的になったとは言え、お客様である生協の態勢・要求が変わる中で、生産地も規模拡大やグループ化によってそれに対応していった。紀ノ川農協においても、生協の発展に対応した生産量や品目、品質を確保するために、組合員数拡大、集荷場の建設・増築、選果機や糖度・酸度光センサーの導入、全国の産直組織とのネットワークづくり等を積極的に行ったという。『報告書』が発行された1984年の紀ノ川農協の組合員数は371人、4年後の1988年は796人と倍以上に増加している。その後の組合員数は800~900人で推移し、生協が規模拡大を図った時期に産地として対応していたことが分かる。
  一方で、力のある生産者・生産地だけが残り、供給量が見合わないと取引を切られたり、取引を自粛する生産者が出てきたことも確かである。産直は生産者と消費者の互助によるはずだが、生協の方針や基準の変化、慢性化した間接的な関係によって、恐らく、この頃から生産者の取組みや生協への見方の変化、信頼の低下があったのではないだろうか。生協産直を基本としていた紀ノ川農協(現在でも販売額の約65%が生協産直)でも、輸入自由化、生産者の高齢化、担い手の減少等の下で、供給能力の限界や農業経営を守れるとは言えない生協産直依存への見直しが行われ、直売所の開設や地元スーパーでの販売を行うようになった。それは、農協として地域関係を築き、地域を再生・振興するためであるが、安全・安心や量の確保に熱心だった生協の産地への対応が、生産者にとってはそれが連携とは映り難かったようである。
  とは言え、其々異なる産直基準を設けていた複数の生協と取引していた生産者にとっては、政策・基準が生協内で統一されたことで栽培・肥育管理の負担が軽減しただろう。しかし、生協の多くが産直においても経済性を求めたことは確かで、各種基準やシステム作り、研究会等においてその太宗が生協関係者であり、十分に生産者と協議されたのかは疑問である。
  また、仕入に関しては、生産者・産地を多数用意したり、組合員からの注文毎に発注を行っている生協が多くなっている。ここでは、『第七回報告書』(2008年)より、産直青果物の取引形態、産地数に関して表2、表3に示した。表2において、店舗・無店舗に拘わらず、その都度数量を発注している場合が多く、また、表3から、多数の産地と取引している生協が多く、特に規模が大きい生協ほど産地数も多いことが分かる。『報告書』では、各回毎に基準、質問事項、内容に変更があるため比較は出来ないが、参考までに回答生協の各回の平均産地(取引先)数をみると、第1回から15件、23件、23件、36件、49件、63件、123件となっている。つまり、生協の事業規模拡大につれて、産地数も増えていることが明らかである。産地を多数抱えることは、当然、生協として組合員に不足なく確実に商品を供給する上で必要である(生協が産地に認められてきたとも言えるだろう)が、基準遵守や量が確保できる産地に特定されてきている中で、各生協が特定の産地に集中すれば生産者の負担も大きくなる(生協での統一した基準づくりの理由の一つが生産者の負担を軽減するためであるが)。さらに、注文毎の発注が多ければ、生産者は計画的な作付が難しくなる。生協としては不足時等には他の産地に代替することができるが、産地では基準への取組みや不意の発注に備えた作付によって負担もリスクも増大する。生協は、生産地が抱えるであろうリスク(農地拡大による追加コスト、供給不足を想定しての作付コスト、天候不順時におけるコスト等)を十二分に汲み、生産者からの意見、視点も踏まえた取引を行う必要がある。
  一方で、地場野菜の取扱、地域農業の振興等の取組みも各生協で意識されている。地場産地(野菜)の言葉が記述され始めた『第二回報告書』(1988年)以降、アンケート回答生協の約5割がそれらを重視し、『第六回報告書』(2004年)以降では、取扱地場野菜に関する単独の質問項目も設定されている。また、程度、頻度は別にして、生産者と交流できることが、産直の目的、重要課題として回答生協の約6割~8割(各回で異なる)が挙げている。生産者訪問や、勉強会開催を積極的に行い、生産者の地域の農業や生活についても生協の事業や取組みの中に組み込んで活動している生協があることも強調しておきたい。
  生産者の取組みに関して目を向けると、多くの生産者、生産者団体などが、生協が規模拡大、事業連合化する中で立てた方針・基準に沿った農畜産物の栽培・肥育、選別等を行っている。中でも、全国の中心的な産直生産者団体・グループの大方が参加した全国産直産地リーダー協議会が1997年に結成され、農畜産物の栽培・肥育基準等を設け、生協が打ち出す産直基準に準ずるよう努力がなされている。協議会では、有機農業の推進、安全な農畜産物の生産や基準の遵守だけではなく、地域農業や地域環境を持続させるにはどうすべきかという課題にも取組み始めている(9)。
  紀ノ川農協でも前述した地域の直売所やスーパーでの産直だけではなく、生産者やグループと共同して学校給食への農産物供給(2002年~)も始まり、安全な農産物を提供するだけではなく、地域づくり、地域農業再生発展、多種多様な人・団体・産業との関係づくりや学習会、農業政策改善のための取組み等、地域全体での活動を行っている。上述した地場野菜に取組んでいる生協と、地域について考え始めた生産者の進もうとしている道は等しく、協同による地域づくりも今後期待できるだろう。

3.コープ九州における取組み
  以上のように、生協が経済性、効率性を求め、生産地への配慮・対応が十分だったとは言えない中で、生産者は基準やシステムに則した取組みを行ってきた。しかしそこには生協との産直の限界がみられ、それは紀ノ川農協が地域に根ざした取組みを始めたことにも表れている。このような現状の中、事業連合(10)として、地域との関わりが深い単協としての役割、産直の位置付けを模索し、取組みを始めている生活協同組合連合会コープ九州事業連合(以下、コープ九州)を紹介する(11)。
  コープ九州は、1993年、九州・沖縄の8県8生協(エフコープ、コープさが生協、ララコープ、生協水光社、コープおおいた、コープみやざき、生協コープかごしま、コープおきなわ)が出資して設立された。2000年以降は、「商品の卸売連合」ではなく、「単協機能としての事業連合」を明確にし、事業統一、企画・仕入・カタログの共同化、ドライセットセンター統一等を行っている。
  コープ九州として産直の共通政策・基準の設定を目指すために、2006年、会員生協の産直事業責任者によって産直事業プロジェクトが発足した。発足の背景には、「青果物品質保証システム」の導入や日本の農業の現状を踏まえ、生協(事業連合)として食の安全の追求や社会との関わりを明確にする必要があったためである。2006年の12月には「九州の生協産直のめざすもの~考え方と基準」を設定し、各会員生協において導入されることになった。基本理念として、「より安全・安心で、環境にやさしく、食と農が提携した『くらしづくり』と『地域づくり』をすすめる生協産直」が掲げられている。この理念を現実化させるために、「青果物品質保証システム」の定着、トレーサビリティの追及、地産地消の推進、産直事業の連帯、共通システムづくり、持続可能な農業の支援・普及、情報提供・開示等の取組みが盛り込まれている。事業連合として、また生協として、安全・安心・美味・新鮮といった組合員の要求を満たすために、地産地消といった地域の活動だけでなく、生協間の連帯によって継続的に県内産、九州産を利用することで、産地育成、地域経済振興を目指している。「品質保証システム」に関しては、青果物だけではなく、コメや畜産物にも広げようという動きがある。
  地域での活動事例として、飼料用作物の生産普及、生協からの食品残渣の家畜飼料化、家畜排泄物や家庭の生ゴミを堆肥化して農家で利用、台風で倒壊したハウスの撤去作業等が挙げられる。生協コープかごしまでは、農業経営の実際を体感するために、共同農園を開設し、組合員は専門家の指導を受けながら植え付けから収穫まで一貫して作業をし、収穫した野菜の販売も行っている。
  このようにコープ九州では、システムの活用による九州全体での事業だけでなく、地域の活動までを支援・普及しようとしており、事業連合化の中で生協としてどうあるべきかが実践されている。
  付足しになるが、日用品に関しては、コープきんき事業連合と共同企画・仕入が行われている。生鮮品においても協同事業が推進され、コープ九州が産直地域を守っているように、協同で生産地域を守る事が出来る様になれば、日本の農業の衰退が懸念される中で、地域・九州の農業が守られるだけでなく、生協として日本全体の農業を守ることにも繋がるかもしれない。

4.生協産直の課題
  表現は異なるもののいわゆる産直に取り組んでいる団体は生協だけではない。大手量販店や宅配会社、直売所、インターネット直売等、中には農家から直接購入さえでき、消費者はどれでも選択し利用できる。また、2005年の法改正によって、農業生産法人以外の法人(企業やNPO法人等)でも農業参入が可能になった。大手量販店では、農産物の生産にも乗り出し、生産から販売まで一貫して行い始めている。このような現状であるが、生産者との関係から生協として今後産直を継続するためには何が必要か再考してみよう。

生産者とのシステムづくり
  生協産直の歴史や生産者との歩み、事業連合の取組みを概括してきたが、生協は組合員の要求を満たすために基準や方針を設け、トレーサビリティの徹底、勉強会や交流会等を開催してきた。これは、生活協同組合として組合員に対する必要な活動であり、事業であり、使命である。図1からも分かるように、2002年の産地偽装事件、無登録農薬事件等の問題が露呈したにも拘らず、2002年の生協は組合員数、食品供給高は1998年に比べ増加している。生協に加入し、活動に加わる意味があり、かつ、生協が信頼されているゆえんではないだろうか。ただし、産直供給高が減少しているのは、『第六回報告書』(2004年)によると、上述の事件を受けた産地基準の引き上げや産直方針の強化等の影響だということである。一方で、基準や方針の設定や徹底は、食品偽装事件等によって顕在化した生産者側の倫理を正すためでもある。しかし、生協側だけで解決させようとするのではなく諸問題の原因を追求し生産者の声も取入れた仕組みづくりをする必要がある。また、『「全国産直調査」報告書』は、生協産直に関して包括的に把握でき、生協の取組みについても詳細に記載されているため、大変含蓄のある報告書であると思う。しかし、そこには生産者の声はほとんどと言っていいほどない。アンケートには生産者から出される産直の問題点等の項目があるが、生協が代弁して答えているだけであり、今後、生産者も関わった報告書になればより良いものになるであろう。

地域活動の見直し
  もう一つ指摘すべきことは、日生協や事業連合が農畜産物の統一した取扱方針・基準作りを進めている一方で、各生協、また生協内の各地域によっても経営状況や取組みが異なることである。また、農産物にも適地、適期があり、圃場毎にその環境も異なる。統一した仕組みや取組みだけを推進することは難しいのである。それに気付き始めたのが、本稿で例を挙げたコープ九州であり、地域の特徴を把握した各生協の活動を支援・普及した上で、基準統一等、連合として全体のまとまりを保とうとしている。しかし長期的な視野では、生協だけでは地域を振興できない。それは、農協、企業、学校、NPO、自治体等、地域で活動している団体は数多くあり、紀ノ川農協が小売店や学校等とも活動を始めていることは先述した通り、他団体との協同なしには地域づくりは難しいからである。その中で、将来的には数多くの団体と支えあうことを目標に、生鮮品を多く取り扱う生協と関係が深い農協や生産者との地域活動をまず今しっかり進めていってほしい。地域での物質循環の取組み等、コープ九州はその手本となるであろう。

共に歩む産直へ
  以上から見えてくる「生協として」の産直は一体どのようなものだろうか。まずは、生協が生産者を、また、生産者が生協を理解し、互いに困難を共有し、産直を事業として進めていくことではないだろうか。互いが納得する事業の確立である。大半の量販店や直売所等は、直に生産者とつながることが出来るが、それは商品を通してのつながりが多く、売買の関係から進展し、互いに抱える問題を共有する関係になるのは難しいだろう(12)。「生活協同組合」だからこそ、商品の取引を通して、生産者の生活や地域の状況にまで踏み込みやすいのである。取引を始める前に、需給量、作付計画、地域経済、地域環境等まで含めて生協と生産者が十二分に協議すれば、生産者としても作業しやすい環境が整い、それは基準の遵守にもつながるだろう。また、事業連合化の流れの中でも、地域に密着した単協の活動、地場野菜や堆肥作り、生産者の支援等の取組みがあるからこそ、事業連合単位や全国の生産者との積極的な交流も可能になるだろう。量販店も直売所も交流できる機会を設け始めている。生協の産直活動を知らない子育て世代に、生協が農畜産物を取り扱う意味を理解してもらうためにも、生協も生産者も生きるため-生活するため-に必要なたべものでつながっていることを忘れずに、生産者と歩む新しい産直を模索していって欲しいと思う。


注釈
(1)ここでは、主に青果物の産直に焦点を当てたい。
(2)①生産地と生産者が明確であること、②栽培、肥育方法が明確であること、③組合員と生産者が交流できること。
(3)現在でも「産直」の意味合いは各生協によって異なり、「産地直結」、「産地直送」、「産消提携」等その呼び名もそれぞれである。
(4)全国販売農業協同組合連合会(全販連)は、1972年に全国購買農業協同組合連合会(全購連)と合併し、全国農業協同組合連合会(全農)が発足。
(5)第一回の報告書は、書名が違うものの『生協の食料品・産直の取組みと食糧問題に関する調査報告書』。報告書は四年に一度出されている。
(6)「生協産直基準」を基礎とし、農産部門の実際の活動や実務の中で最低限実現すべき基準。農産分野の生協産直の具体化・基本的なあり方を示した「産直・提携基準」と、各事業や活動の場面に即して具体化した「実務・検証基準」、「個別基準」がある。また、日生協として「産直三原則」から「生協産直基準」に変更した。「生協産直基準」は、①組合員の要求・要望を基本に、多面的な組合員参加を推進する、②生産地、生産者、生産・流通方法を明確にする、③記録・点検・検査による検証システムを確立する、④生産者との自立・対等を基礎としたパートナーシップを確立する、⑤持続可能な生産と、環境に配慮した事業を推進する。
(7)生協農産事業の見直し、改革を検討し、報告書『食の揺るぎない信頼を確立するために』を出した。
(8)紀ノ川農協は、和歌山県全域を範囲とした販売専門農協で、1976年設立。2004年現在組合員数は896名、販売高は21.9億円。主な農産物は、柑橘類、柿、梅、玉葱、トマト等。詳細は紀ノ川農協のウェブを参照。今回は、紀ノ川農協の宇田組合長からの情報提供を基にしている。
(9)下山(1998)
(10)地域活動・交流を基に展開された事業連合もあるが、ここでは事業の効率化を目指した中で設立された事業連合とする。
(11)コープ九州商品開発仕入本部の井ノ上氏から情報提供して頂いた。
(12)もちろん、量販店も店舗やウェブ等で生産者へ感想を送ることや自前の農場もある等、生産地・生産者との関わりも変化している。本稿ではそれらの比較が目的ではないため、今後の課題としたい。


参考文献
  大木茂(2008/2)「紀ノ川農協の展開にみる生協の提携課題」『生協総研レポート(55)』
  協同組合間提携推進事務局(1982年)『協同組合間提携及び産地直結に関する文献の目録(1945~1982年)』
  今野聰(2007/12)「農協産直事業の今日的課題は何か ロマンを求めてゆく意志からの展望」『季刊at10号』,大田出版
  コープ九州事業連合(2006)『九州の生協産直のめざすもの~考え方と基準』
  下山久信他(1998/8)「生産者団体からの生協への要望」『生活協同組合研究(271)』
  日本生活協同組合連合会『「全国産直調査」報告書(各回版)』,コープ出版
  日本生活協同組合連合会(2008)『生協産直の青果物品質保証システム2008年改訂版』 
  日本生活協同組合連合会産直委員会(2002)『生協農産・産直基準(2001年版)』
  日本生活協同組合連合会産直委員会(2003)『食の揺るぎない信頼を確立するために~生協農産事業改革の提案~』
  日本生活協同組合連合会生活協同組合運動史編集委員会編(1964)『現代日本生活協同組合運動史』,日本生活協同組合連合会
  野見山敏雄(2002/12)「偽装表示問題と協同組合間協同の課題-農協生協間産直の新たな構築に向けて-」『協同組合経営研究月報(591)』
  本野一郎(2006)『いのちの秩序農の力-たべもの協同社会への道』,コモンズ
  山本明文(2006)『生協産直、再生への条件』,コープ出版
  紀ノ川農協ウェブサイトhttp://www.kinokawa.or.jp/
  コープ九州ウェブサイトhttp://www.kyushu.coop/
  日本生活協同組合連合会ウェブサイトhttp://jccu.coop
  ※上記ウェブサイトはいずれも2008年9月17日参照