『協う』2008年10月号 ブックレビュー2

篠崎 尚夫 著
「東畑精一の経済思想」 -協同組合、企業者、そして地域-

大友康博 京都府立大学共同研究員兼(特活)大阪NPOセンター事務局員

 本書は、農業経済学の研究者であり、戦後の農業政策形成に影響力をもった東畑精一の経済思想とその現代的意義について、柳田国男の思想やシュンペーター(JosephAloisSchumpeter)の経済学との関連から明らかにしたものである。さらに、その分析結果に基づいて「地域観」(本書では「観」に「デザイン」のルビが付されている)という概念を抽出し、1960年代の埼玉県川口市の鋳物工場主による生産性向上運動について分析している。
  本書の中心は、シュンペーター経済学、特に『経済発展の理論』が、東畑の「内面」でどのように繋がり、東畑の研究態度(姿勢)に影響を与えたのかを、論文そして著作のテキスト分析から明らかにしている点である。
  著者は、東畑が中山伊知郎とともに日本にシュンペーター経済学を紹介したこと、シュンペーターの著作『経済発展の理論』で用いられている「企業者(Unternehmer、最近は起業家と訳されることが多い)」等の概念を援用して『日本農業の展開過程』(1936年刊)を著したこと、農業総合研究所長やアジア経済研究所長などの公職に就いたこと等の既存の東畑に対する評価は過小であると批判している。
  例えばシュンペーターの『経済発展の理論』の理解と援用については、以下のように分析している。
著者は、東畑がボン大学留学前に発表した論文「産業組合と農業政策」に、シュンペーターの『経済発展の理論』受容の原初的形態が既に見られるとしている。そして、柳田国男『時代ト農政』から得た知的影響や産業組合の興隆、農業経済学会の誕生といった時代背景から、東畑は日本における農業・農村・農民の国民経済上の位置付け、その経済活動の主体性を保持するための産業組合の役割とその可能性について、留学以前から問題意識を持っており、その問題意識がシュンペーターの『経済発展の理論』で用いられた概念と結びつき、『日本農業の展開過程』に繋がったとしている。
  また、本書第5章でふれられているが、シュンペーターと東畑の「企業者」概念は異なるとして、『日本農業の展開過程』は「産業組合は何故日本農業を動かし得ないのか」を分析した産業組合論であり、シュンペーターの「単なる受容ではない」根拠としている。
具体的にはシュンペーターの「企業者」は「新結合(イノベーション)を遂行する機能」を意味し、具体的な「階級」「職業」等と結びつけていない。一方、東畑は「具体的な形をもって日本経済なり日本農業なりを動かすもの」と捉え、「産業組合」を「企業者」として捉えていたとしている。
東畑の戦後思想については、第6章、第7章において、農林大臣就任固辞のエピソード等から分析している。さらに第8章においては「地域主義研究会」「郷土会」の地域思想、柳田、東畑の知的影響を受けたとする鶴見和子の地域思想を分析し、「地域観」という概念を抽出している。そして補論において、「地域観」概念を用い、1960年代の埼玉県川口市の生産性向上運動を分析している。
  著者は、東畑が経済発展のためには、政府への依存や利権構造維持に固執するのではなく、不断のイノベーションを遂行する「企業者」をめざすことの重要性を説き、しかも農業総合研究所や鯉淵学園等の研究教育機関の設立運営など自ら実践をしたことを明らかにするとともに、現在も東畑の経済思想の重要性は失われないとしている。
  経済不況期、停滞期になると政府が主導して起業家の育成・支援やイノベーション創出が唱えられることがあるが、この点について著者は警鐘を鳴らしているように思える。むしろ、かつて川口市の鋳物工場主が退職金積立組合や技能者養成所の設立運営を通じて生産性を向上させようとした地域実践を重視している。
  今後は、東畑のアジア経済研究所等における地域研究(実践)を評価し、著者の「地域観」概念を援用した地域の「企業者」による地域経済発展論(開発論)を提唱していただきたいと思う。