『協う』2008年10月号 ブックレビュー1

北川太一著「新時代の地域協同組合」
熊崎 辰広 コープぎふ職員 当研究所研究委員

 本書のタイトルである「新時代」とは、JAグループにおける経済事業改革をはじめとする「改革」後の時代をしめし、「地域協同組合」とは、「農や食の取り組みを通して組合員や地域住民にアプローチし、地域に存在する有形・無形のさまざまな資源を活用」するJAの姿を表現したものとする。
  本書の構成は、第Ⅰ章(ポジション)として、JA・協同組合の原点を、第Ⅱ章(コンセプト)として、特に教育文化活動の理念について、第Ⅲ章(アクション1)として協同組合教育について、さらに第Ⅳ章(アクション2)として特に生活文化活動の実践について、最終章第Ⅴ章(コンパス)として地域協同組合としての課題を示す。各章末には「実践にむけてのヒント」としていくつかの設問があり、さらに理解を深めるための参考図書も示されている。文章は比較的やさしく、論理も明解であり主としてJA職員が、一人でまたはグループで学習できる、コンパクトな内容になっている。
  さて、協同組合の特性(第1章ポジション)の確認だが、組合員の三位一体性とか非公益性(共益性=メンバーシップ)などは生協とも共通し、違いは「『思い』や『理念・目的』の中心が『農』にある」ことである。しかし、「農」をめぐる現状は厳しく、農家の減少、過疎化高齢化など地域の「疲弊化」等問題は大きい。また、JA内部では広域合併が続いているが、事業の縦割りと組合員自身の顧客化が進んでおり、あらためてJAの事業と事業、または事業と活動に「横糸」を通す、つなぐことの意義が求められている。
  次に、理念(第Ⅱ章コンセプト)の課題としての「教育文化活動」については、これまでの歴史や農協法、全国農協大会の資料などから整理されている。それによると教育文化活動は教育広報活動と生活文化活動に分けられ、前者は経営活動として、後者は事業活動として分類されている。この生活文化活動が、「JAが協同組合であるかぎりは必ず取り組まなければならない必須の活動」として位置づけられる「基盤論」か、単に事業活動の一部に過ぎない「パーツ論」にするのかが問題で、筆者は(諸データから)、現状ではパーツ論が大勢であるが、「JAが〝総合的事業〟を展開していくうえで」も「基盤論」として位置付けが必要であるとしている。また、JAでは組合員の多くは男性の戸主であり、主婦や他世代の参加が課題となる。この問題については、第Ⅲ章アクション1でのJA北信州みゆき(長野県)の事例紹介がある。「JA北信州みゆき組合員組織研究会」での "組合員組織とはなにか"の論議の過程で「家を単位として事業・運営システムでは個人が表にでてこない、個人の能力発揮や意志反映がなされない」として、「戸から個へ」が共通のキーワードとなった。アクション1では他に、協同組合教育として、協同組合原則や「JA綱領」についての理解を深める活動事例が紹介されて、第Ⅳ章アクション2では、生活文化活動についての役割や可能性が、具体的な事例をもとに紹介され、また活動をコーディネートする職員の役割にも言及されている。
  世界的な異常気象による食糧危機、また日本では食糧自給率の異常な低さにたいし、「農」の役割は重く、その意味で最終章コンパスに示されたJAの「農を軸にした地域協同組合」をめざす取り組みへの期待は大きい。「まず組織ありきの発想から、まず活動ありき」の組織を作ること、それら活動グループや事業グループの緩やかなネットワークの展開のうえに、「地域に潜む食や農、くらしや地域の課題に関心をもつ多様な個人の活動参加が可能」なのである。 本書は生協に対する言及はほとんどないが、例えば「地域協同組合連合」という発想をもとに生まれた「庄内まちづくり協同組合『虹』」のような活動は、「地域における協同活動と連携・ネットワーク」の事例として検討に値すると
思われる。しかし、本書の「教育文化活動がJAを変える」という主張は、組合員の「顧客化」や「思想の危機」(レイドロー報告)にあると言われる生協の関係者にとっても学ぶべき点が多いのではないだろうか。生協を含む協同組合への研究者からの貴重な提起と受けとめたい。