『協う』2008年8月号 視角


「新自由主義」と「つながり」の再生

豊福 裕二

 最近、私の勤務する三重大学の同じ学科の教員らと共に、『新自由主義改革と日本経済』という本を出版した*。「格差社会」という特徴づけがますます現実味を増している日本経済の現状は、この間推進されてきた新自由主義的な改革の必然的な帰結であるというのが、執筆者に共通する問題意識であり、同書では、金融、労働、社会保障、農業などの分野ごとに、改革がもたらした結果について批判的な検証を行っている。私が担当したのは、住宅・住環境と小売業(まちづくり)の分野である。
  住宅・住環境の分野では、90年代後半に住宅供給を基本的に市場原理に委ねる方向性が出され、住宅金融公庫、公営住宅、公団住宅が廃止ないし縮小される一方で、高層化を可能とする容積率の積み増しや、建築確認・検査業務の民営化など、建築・都市計画法制の規制緩和が相次いだ。その結果、景観を破壊する高層マンションの乱立とともに、耐震強度偽装問題が発生したことは記憶に新しいところである。また、小売業の分野では、周知の通り、大型店の出店を規制していた大規模小売店舗法が、90年代を通じて規制緩和ののちに廃止され、大型店の出店が事実上自由化された。その後の過剰出店ともいえる大型店の出店ラッシュは、全国各地の中心市街地における商店街の空洞化とともに、郊外の団地内などに存在していた中小小売店の消滅を招き、食料品などの日用品すら近隣で調達できない事態を生み出している。なお、両分野は密接に関連しており、商店街における空き店舗の増加は、容積率の高い商業用地を高層マンション用地として提供し、人口の「都心回帰」をもたらす一方で、郊外団地における人口の減少と高齢化を招いている。
  先日のくらしと協同の研究所・第16回総会記念シンポジウムでは、都市社会における「つながり」の希薄化の背景として、くらしの個人化や流動化、商品化があることが指摘されていた。このような個人化、流動化の流れが、この間の新自由主義的改革によって加速されたことは明らかであろう。例えば、労働分野における規制緩和は雇用の流動化を促進し、社会保障分野の改革は応益負担の強化によって公共サービスの商品化を推し進めた。また、上述の分野に即していえば、近隣の小売店の消滅は日常的な購買行為におけるコミュニケーションの減退を招き、また、高度なセキュリティによって管理された高層マンションの乱立は、マンション自体のコミュニティからの孤立と、マンション内部におけるコミュニケーションの不在とによって、都市社会における「つながり」の希薄化を促進したといえる。
  新自由主義のイデオロギーは、個人化と流動化の利点として個人の選択肢の拡大と選択の自由を強調する。しかし、多様な財やサービスを享受できる「強い個人」に比べて、「弱い個人」には多くの選択肢は残されていない。選択の自由の名の下に社会的弱者の選択肢が狭められ、格差が固定化される現実こそ、まさに「格差社会」である。交通弱者であり、またしばしば経済的弱者でもある高齢者を中心に、希薄化した「つながり」の再生に対する切迫したニーズが生じているのはこのためであろう。
  三重大学の所在する津市内でも、高度成長期に開発された郊外住宅団地において急速に高齢化が進んでいる。団地内の商店が消滅するもとで、交通手段を持たない高齢者は不便な公共交通機関を乗り継いで日用品の買い出しをせざるをえない。最近、こうした現状に危機感を持たれた団地住民の方からご相談をいただき、私の所属する学科において地域再生の取り組みを始めることになった。まだ緒に就いたばかりであるが、長期的には、近隣の農家の協力のもと、地元で採れた農産物を団地に供給するシステムの構築を展望している。シンポジウムで紹介されていた取り組みと同様に、それは団地内の「つながり」のみならず、都市住民と農家との「つながり」を再構築する試みでもある。ささやかな取り組みではあるが、それは個人化、流動化の流れに抗して、言い換えれば新自由主義的な潮流に抗して、オルタナティブな社会のあり方を模索する取り組みでもある。

  *櫻谷勝美・野崎哲哉編『新自由主義改革と日本経済』 三重大学出版会、2008年。

とよふく ゆうじ
三重大学 人文学部法律経済学科准教授