『協う』2008年8月号 特集3

特集Ⅱ ララパーティーを探る

井上 英之(大阪音楽大学教授 当研究所研究員)

 

1.特集をくむにあたって
  くらしと協同の研究所が「ララパーティー」に関係することになったのは、長崎県のララコープから「ララパーティー」の報告書を読み込むことにアドバイスをしてくれる研究者を派遣してほしいとの依頼が寄せられ、浜岡政好先生を送り出したことに始まる。
  以降、当研究所の総会記念シンポジウムの分科会で報告を2回していただき、「ララパーティー」に学び刺激を受けて「おしゃべりパーティー」が各地の生協で展開されるにしたがって、当研究所において2回にわたる交流会を開催してきた。しかも「ララパーティー」で家族開催(パーティーを家族単位で開催すること)を認める方向が出されるに及んで、研究所としてはその意味を多面的に分析する必要性を自覚し、中川順子先生を長崎に派遣しただけでなく、所内では「家族研究会」を立ち上げるにいたっている。
  ララコープ理事長の中島勝幸さんには2時間のインタビューを、そして「ララパーティー」の担当組合員理事2人・担当職員2人へは2時間のインタビューを受けていただくことができた。心よく取材に対応していただいた関係者の皆さんには、この場を借りて御礼を申し上げたい。
  さて本特集は、2つのインタビューをもとにした、あくまでも「ララパーティー」そのものを対象に、その内在的な発展の諸側面を紹介することを目的にしている。関西の各地の生協に展開され始めている「おしゃべりパーティー」の比較検討をするためにも、まずは原型であり、先進事例である「ララパーティー」自体を今日の時点で再確認する必要を感じたためである。ここでは、紹介の仕方に一定の工夫をしている理由から、まずは以下に簡単な解説をしておきたい。

(1)最初に、「ララパーティー」がどのようにして誕生したのか、また「ララ」という名称はどこから生じたのか、をコラム風に紹介している。いずれも2つのインタビューでの「生の発言」をもとに、「ララパーティー」を本誌の読者が理解する上での前提としていただくための、「分かりやすい」表現方法としての工夫である。

(2)そして「ララパーティー」がどのように歩んできたのかを年表(ララパーティーの歩み)にまとめている。この年表は、これまでの経過で研究所が入手した資料をもとに独自に整理したものであり、開催場所数や人数はすべて省略して、2つのインタビューでの質問で、その時点での発展を理事長、担当組合員理事、担当職員にたずねた結果を吹き出しの形で表現をしたものである。
  主体的な発展の契機と、時々における組合員と職員の思いの違いなどを見るために作成したものであることをおことわりをしておきたい。

(3)「ララパーティー」は、商品セットを参集人数に応じて届けてもらい、食事をともにしながら楽しくおしゃべりする新しい組合員活動の形態である。そしてその結果を報告書にまとめて、任意に提出する仕組みだが、おしゃべりの中心に「商品セット」を据えていることから、その重要性や「商品セット」企画への思いを確認することができる。その意味から、これまでの「商品セット」についての考え方を年表に付記した。
  そして重要なことは、「商品セットのメニューづくりに徹底してこだわることは卒業して、報告書を読み込んで生かすことを重点に考えるようになってきた」「商品セットの選定も理事が考えるのではなく、現在ではエリア委員会が組立てを行っています」と理事・職員が語っていることである。これは、現段階の「ララパーティー」をとらえるうえで大変重要なポイントになると私は判断している。

(4)中島理事長へのインタビューは、多様な話題に及んだ。しかしながら今回の特集では直接「ララパーティー」に関係する部分に限定してまとめさせていただいている。常勤トップがどの様に「ララパーティー」をとらえ、位置づけているのかを示す貴重な「証言」である。あえて理事長の語り口を生かしたいとの思いでまとめたものであり、当然文責は私にある。理事長へのインタビューの記録はA4で21ページにもなり、当然こうした、限定したまとめ方には不行届きな点が残ると思われるが、限られた誌面であることからご容赦いただきたい。
ここでは長時間にわたるインタビューから、その一部を整理しただけであるが、それだけでも「ララパーティー」を見る視点を多面化できたのではないかと考えている。

(5)「ララパーティー」の歩みにとって、組織・教育アドバイザーとして各地の生協に関わられている毛利敬典さんの関与もまた大変に重要である。これまでの生協への関わりやコープみやざきの「聴く活動」なども踏まえたうえで、「ララパーティー」についても講演や助言をされてきている。おそらく外部からでは「ララパーティー」に一番かかわっているだけでなく、「おしゃべりララパーティー」として、おおさかパルコープやコープしまねなどにも紹介された毛利さんが、「ララパーティー」の特徴と課題をどのように把握されているのかは、今後の実践を考える上でも重要であり、参考になろう。そのために、毛利さんに了承を得たうえで、当研究所の第2回交流会(2008.4.5)での同氏のコメントを研究所の責任でまとめさせていただき、掲載することにした。
  以上の(1)~(5)の視点から「ララパーティー」の活動の記録(当研究所の第15回総会記念シンポジウム分科会、他)を読み解くことによって「ララパーティー」の核心部分が見えてくるのではないか、というのが本特集の本意である。是非感想を研究所『協う』編集部までおよせいただきたい。
2001年 組合員理事グループが商品セットを企画。

ララパーティー誕生話
  「ララパーティー」は1999年秋に「ワイワイ産直料理パーティー」として開始された。コープながさきと佐世保生協の合併によるララコープの誕生、事業連合化と個配の発展の中で、商品活動を組合員の身近なところでおこなうべきとの危機感をもった無店舗事業部が産直商品である米・肉という素材をセットして、調理を必要とする形で班に提供したことが原型である。
  ところがこれに対して組合員側には゛反発゛もあった。「調理が大変」「こんなのつまらん」という意見を契機に組合員理事が主体的にかかわることになる。「商品セットの企画をすることを楽しんだ」と担当した組合員理事は次のように語っている。
  「冷凍ケーキなどあまり買わないけれど、意外と料理をつくることが好きでない理事からの意見で、手間をかけずにおいしい商品も結構あるので、そのことを知らせるだけでもいいんじゃない」、「これまでの職員の提案がとってもまじめなものばかりだったので、もうちょっとラクでいきたいと思いあたった」と。
  こうした声の集積が「産直料理パーティー」(後のコープパーティー)」を「ララパーティ」へと名称を変更させ、個配・店舗組合員に広がる大きな組合員活動に発展していく。

「ララパーティー」の『ララ』とは?
  ララコープの組合員活動なので「ララパーティー」という名称と思い込んでいたが、中島理事長にお聞きしたところ、店舗の名称に「ララ」を最初に使用した事情が判明した。
  「店舗の店名を決める時に組合員さんに相談したところ、『コープは生協というイメージはあるけれど、お店の場合はもっと、生協のお店というイメージが必要』と言われました。その時博報堂の人に候補をつくってもらい、組合員が選んだのが『ララ』なんです。」
  「『ララ』という響きがいい。『なぜそういう響きを大事にするんですか?』と聴いたら、組合員さんは『生協のお店に買い物に行くけど、ほんとうは夕飯の支度をすることは苦痛なんです。だから名前からして楽しくないといけない』と答えてくれた。調べてみたらララというのは女性に関することが多いんですよ。美容院とか、女性向けの軽自動車とか・・・。」
  「この時に僕が思ったのは、主婦は楽しいことの場面を求めている、楽しいことの中には本音が出ている」と。
  その後コープながさきと佐世保生協の合併で「ララコープ」の名称になり、更に「ララパーティー」に至る「ララ」の歩みは、楽しさを追求する組合員活動のDNAの存在を示しているのであろうか。

2.ララパーティのあゆみ

1994年 旧コープながさき第1号店「ララ新戸町」オープン
     お店の呼称にて「ララ」を初めて使用

1999年4月 「コープながさき」と「佐世保生協」が合併。 
1999年秋 「ワイワイ産直料理パーティー」スタート 
商品活動は組合員の近くに!と事業部から提案。

2001年 個配の全県展開。
  01年秋組合員理事のグループが商品セットを企画。

2003年春 パーティーの企画運営を
組合員理事主体に変更。
   03年秋コープパーティーから
「ララパーティー」に名称変更。
対象を個配・店舗組合員にも広げる。 

2004年 理事グループと一部職員で報告書を
読んで感想を出し合う。

2005年 報告書の「読み込み会」の開催。
(理事・支所長・店長・ブロック委員)
       05年秋、お父さんの参加を意識して、
お酒(ビール、焼酎)をセットに入れる。

2006年 公募による組合員のワーキングチーム
がつくられ、商品セットを企画。

2007年春「春も語らいララパーティー」に変更。
春秋共に「語らい」「おしゃべりの場」に。 

2008年度 家族開催スタート。ひとつの家族だけで
パーティーを開催することを公認。

 

2001年 組合員理事グループが商品セットを企画
私は冷凍ケーキなどあまり買わないけれど、意外と料理をつくることが好きでない理事が簡単に料理できる商品をよく知っていて「あの商品、簡単だけどおいしいよ」「手間をかけずにおいしい商品も結構あるので、そのことを知らせるだけでもいいんじゃない。」などと話しあった。

2004年 理事グループと一部職員で報告書を読んで感想を出し合う
私たちも報告書をよんできた。担当者がよんだものなので下線を引いたりしている。この下線の後にはなにがあるのだろうか?と考える。ある時期、担当者から「ララパーティが負担だ」という発言があった。確かにこのセットを届けるのは大変だ。班の人数や希望に応じて配布物を変えなくてはいけないし、A、B・・・とセットによって資料も変わるなど、注文が多ければ多いほど負担が大きい。そこで「喜んでいただいている声」を感じてもらったら違うのではないか。仕事でないと思えるように感じてもらえたらと思った。

商品セットメニューにも変化が…
最初の頃は、「コープパーティー」にとりくんでもなかなか広がらない。なぜなのかと聞いてみた。「人と一緒に準備するのが大変」、「今だけですむのならするよ」とのこと。そこで考えたのが、冷凍ケーキセットみたいな簡単なもの、ごはんを炊いて食べられるもの、その中間という「簡単」「手の込んだもの」「その時の気分」という3種類のメニュー。しかし、今は「組合員のリクエストにこたえるもの」、「職員が選んだもの」、「組合員から募集したメンバーでつくったメニュー」というように変わってきている。途中から「食育」だとかテーマを決めたこともあったが、やはり簡単にできるのが一番よくでている。

3.理事長のインタビューから

常勤トップのスタンス
  「ララパーティー」のスタートをララコープの組合員活動分野、組合員活動室で一旦まとめてご報告した資料がありましたね(研究所発行の総会記念報告集『第12回、第15回』に資料として掲載)。私自身がそれを読んでいません。その意味合いは、組合員の思いと常勤の思いが本当に一致しているかどうか、現状ではちょっと違っていて、(組合員活動委員会に委任し、そこの責任者を会長とするという)ある意味で任せているという状況にあるわけですね。その中で彼女らが「ララパーティー」を組み立てて、試行錯誤しながらやっている。そのことで彼女たちはあんまり悩んでいないと思います。基本的に僕からは楽しいことをしているなと、見えるわけです。それを常勤者として、どう見て、生協運動の中で組合員活動と事業を、僕の言葉では「だんご状態」という言葉を使いますが、一緒にやっていくことに役立てていくのか、その方法を、職員にはいろんな言い方をしているところです。
埋もれた宝の掘り起こし
  「ララパーティー」の話が出てきた時に、私は役員になったものですから、初めの発想は「金を何に使うのか」となるわけです。しかし報告書の中身を見れば見るほど、「うちは宝が埋もれている」と感じるようになりました。それから3、4年くらいして「重要なのは掘り起こし方ではないかな」と思うようになりました。組合員も報告書を読み込んでいますが、我々も成長しないと宝が埋もれたままになる。拡大という量的なものとか、質的に、我々がそれを受け止めて生協人(職員だけではなく、組合員も、生協に関係している人全部)が、自分の思っている生協運動を語りながら受け止めないと宝は掘り起こせない。単に仕事をこなすというだけではうもれた宝は掘り起こせないのです。

生活の中にある本音を聞く
  我々は、小さな県で17万人を組織しているわけですから、その中には、生協にお付き合いとして入っているとか、たまたま近くに店ができたから入ったという、そういうレベルの組合員さんもいて、そういう人たちを包含して生協運動をやろうとしているわけです。逆にそういう人たちの、どういう思いが生活の中にあるのかを聞き出して運動を起こし、方針化していって、実践、実行していくということになるんだろうと思います。そこで本音を聞くことに「ララパーティーって、向いてる」と気づき始めたのが現実なんです。3、4年くらい前に「韓流ブーム」があって「韓流セット」ができました。「お父さんたちもいるよね」ということで、お酒がセットに加えられたりしたのですが、組合員も楽しい場面では本音が出せると思うと同時に、組合員理事さんも自由にした方が、彼女らは一生懸命考える。あんまり、ああせい、こうせいと言わない方が、力が出ると思ったし、そういう力を、お持ちだと思っています。それだけ生協運動の中で一定の経験とか悩みも含めて積み重ねてこられたから。自由な中で自由な発想や本音が出やすいというのが基本的な考え方です。女性の場合は、食べ物があると特によくしゃべるというのは学生時代から生協運動をやってきて気づきました。

自らの生協運動を語れ!
  読み込み会をやることで「組合員さんはこういうふうに考えるんだ、こういうことが話題になっているんだ」と、常勤者としては組合員に「戻す」ということをしないと、やっている意味合いはないと思います。しかし戻し方にも解釈が入るわけですよね。解釈のなかに専従として何が必要かということの判断も入りますから、私は職員に「自分の生協運動を語れるようになれ」と言ってるんです。自分がやっている生協運動をどのようにしたいのかという考えがないと、組合員の声とか報告書に書かれていることを、どう解釈するかという答えが出てこない。それが当たっているかどうか、正直いってわからないけれども、それを仕事の中で、どう返すかということなんだと。そのためのベースとして、「自分なりの生協運動が語れないとだめだよ」と、今盛んに言っています。そのことは幹部にも、ある意味で僕は強要しています。「ララパーティー」は組合員と同時に、職員が学ぶ場面だととらえています。

やがては「地域の中に」の時がくるかも
  もう少しおしゃべりパーティーを広げたいんだけど、なかなか拠出する金がないなと思っています。会長には「事業費の中の何%くらいを組合員活動に使うかを決めましょう」と投げかけています。「生協って、入らんでも困らん」という人たちにも、もう少しひろげ、「ララパーティー」が、「生協」から、「地域の中の取り組み」に、なっていければいいと思いますが、いまはまだ増やす過渡期にあると私自身は思っています。17万人の組合員ですから場所によっては石を投げれば組合員にあたるというところもあるわけです。それだけ地域に密接に関係していると思うんです。商工会などを通じていろいろな場面でおしゃべりパーティをやって、「地域をどうしよう」ということにまで広がってもいいなと僕は思っています。

ララパーティーを継続して「正解」へ!
  「ララパーティー」については、政策的に整理するのかどうか、と聞かれるんです。僕は、放っておこうと言っています。まだ班とかに代わる何とかというふうに、あまり言わない方が成長するのかなと。「ララパーティー」を組合員組織中心のこととと見ているところがあるけれど、職員は、ここ2年くらいようやく「読み込み会」をはじめたところです。そして、今はそれを仕事にどう役立てていこうかと模索しているんです。僕はそこが育つことが重要だと思っているんですよ。発信している組合員の側は生協に対して何かを言ってるんですね。情報を僕らがくみ取る力をつけていかないとそれがわからないんですよ。それを返したとして当たるか、当たらないかもわからない。そのことを繰り返していくことによって正解に近づいていくと僕は思っています。

4.おしゃべりパーティーから見えること

(以下は第二回おしゃべりパーティ研究交流会(08.4)での毛利敬典氏のコメントより)
  おしゃべりパーティは生協のあり様の中にあって存在するもので、それが変わるとその位置づけも変わる。このおしゃべりパーティの特徴を4点にわたってまとめてみた。
・かなり長時間のおしゃべりをおこなっているケースが多くの班でみられる。
・商品セットの組み方、用意の仕方で参加が広がるしかけになっている。
・「試食してください」といっていないのに試食的な意味で利用している。
・非組合員が参加している。そこに商品があることで生協商品の話、生協の話になる。
  しかし、おしゃべりパーティは意義あるものだ、と思っても続くものでもない。例えば、コープしまねで「班応援費」の使い道についてアンケートをしてみた。その答えでは、必ずしもつながりづくりのために使われているとは限らない。金品で支給することで、そのことが足かせになることもある、というような事例もあった。
  このとりくみを内部に定着させ、位置づけることは大変でもある。その例でいうとララコープのこのとりくみでの経過に一つの事例をみることができる。
  当初は、職員主体で「拡大」を目的に「コープパーティー」をしたが組合員の関心もなく縮小することになった。しかし、企画や運営に組合員理事が主体的に関わることでこのパーティのとりくみは広がった。ここに、このとりくみのあり方を示すものがあるのではないだろうか。
  内橋克人氏は「競争原理と共生とそれぞれの領域があって、共生の領域の後退は社会のゆがみを増大させ、不安定化する」と述べている。
  生協も当初は、商品づくりなど組合員とともに共生の関係であったのが、社会の変化の中で競争原理の領域の拡大がはかられた。例えば、「加入のご紹介をいただくと○○商品を進呈します」などというのはその事例ともいえる。
  生協の事業の中で共生原理をどのように位置づけ組み入れていくのか。その点からおしゃべりパーティは組合員と職員の共生を基本にしているといえるのではないか。
  おしゃべりパーティの発信がララコープは組合員主体で、おおさかパルコープは職員組織「運営部」主体と違いがみられる。実は、パルコープが運営部主体でなぜできたのかというと、事業そのものが組合員との共生を原則にしているからだ。班の人数が個配の人数を上回るなど班を大切にしていくことを基本にすえており、それが支所職員の業務の基本となっている。
  おしゃべりパーティをどう見るのかという点で、中川順子先生が言っていたことは、おしゃべりパーティが仮に6000箇所あるとすれば、そこには6000人の核になる人が存在するということ。また、生協の加入の基礎は世帯(家族)加入ですが、地域でのつながりが弱まっている、家族も同様になってきている。そのような中でバラバラになっている状況から「家族開催」を見直してみることや家族を構成する個々人がもつ資源を見直してみる視点などは大切なこと。つまり、組合員を個人としてみてみると、そのまわりに家族や地域のつながりがみえてくる。そのつながりがおしゃべりパーティとどのようにつながっているのかをみてみることだ。
  生協しまねでは、高齢社会での生協のあり方を考えるために、高齢者アンケートの読み込みや訪問活動をおこなってきた。その訪問記に表れている一番の特徴は、高齢組合員が地域に生きている姿に触れ、向き合うことで、その人の生き様に深い感銘を受け、自分自身のこれからの人生を問い直すという、これまでにない活動体験になっていることであった。
  こういうことから考えると、理事、委員、職員がおしゃべりパーティの核になっている人を訪問し、その人の生き様に触れることは、地域、組合員、くらしを捉える感性に大きな影響をあたえ、そのことが生協の有り様に大きな影響をあたえる、そんなこともあるのではと思っている。