『協う』2008年8月号 特集2


都市社会における新しい「つながり」を考える

 さる6月28~29日にかけて、当研究所は第16回総会記念シンポジウムを開催した。シンポジウムでは、浜岡政好氏の基調講演のあと、3つの実践報告をもとに論議を行い、二場邦彦氏が総括コメントをした。翌29日は、シンポジウムの内容もうけて4つの分科会を開催した。
本特集では、シンポジウムの成果を多角的に振り返る趣旨から、主催側として浜岡政好氏に、あらためてシンポジウムで深まったことを中心にまとめていただき、当研究所会員でもある山口浩平氏には、一参加者としての評価をいただくことにした。全体の詳細な内容については、本年9月発行予定の「報告集」をご欄いただきたい。

 

特集Ⅰ
総会シンポジウムをどう見たかー「つながり」は生協の枠を越えるか?ー

山口 浩平((財)生協総合研究所 研究員)

 

はじめに―協同組合論の視点

 協同組合とは、何なのだろうか。ここ数年のくらしと協同の研究所の総会シンポジウムで考えさせられることは、常にこの問いに絞られているように思う。本稿は、総会シンポジウムでの報告や議論を外からの視点で評価し、今後の論点やあらたな視座を提供するものである。
ところで、私はこの4月からある大学で新たに「協同組合論」を担当した。新設の学科とはいえ、「協同組合論」を開講することは(残念ながら)珍しいことであろうと思う。また、それだけに、協同組合という仕組みがいかに現代的なものなのか、また同時に社会に埋め込まれた存在なのかを伝えることに心を砕いた。この苦心が成功裏に終わったのかどうかは本稿執筆時点ではまだ分からない(採点が終わっていない)が、この講義をとおして、また学生からのレスポンスを得ながら私が考えた協同組合の存在の意義とは、組合員の「当事者性」とつながりが生み出す「エンパワーメント」に集約されるのではないか、と考えている。
協同、それはおそらく原初来から存在していた概念であろうし、その組織化としての協同組合を考えるに、少なくとも200年以上の実践と研究の蓄積がある。そのような歴史の上に立って協同組合を論ずること、それは主に困難をかかえていた。最初に直面した問題は、その理念や価値、そして原則と、現実の日本における協同組合という組織の外面的な姿とのギャップにあった。折しも、生協について言えばいくつかの事故・偽装という問題に直面していた。農協は日本農業の転換点に立っており、協同組織金融機関もまた、金融のグローバル化の中でその存在意義を問われていた。端的に言えば、社会に埋め込まれた存在であるがゆえに、国の政策や、他の企業との競合関係に協同組合が大きく影響を受けているということであった。それがゆえに学生からみた現実の協同組合の姿は、その内部にいる人間とは異なった見え方をしている、例えば生協がスーパーとはちょっと違った存在であることをどのように伝えれば良いのか、ということであった。
次に私が感じた課題は、ワーカーズ・コレクティブや農村女性起業、あるいはNPOといった組織と、既存の協同組合をどのように連結すればよいのか、ということであった。これらの新しい協同組合、あるいは「協同」という概念をその根源に有する諸組織の近年の隆盛、地域や社会の問題を多様な形で解決しようとしている姿は、とても生き生きとしている。しかしそれが現実の協同組合という法人とどのように関係しているのか。言うまでもなく、ワーカーズ・コレクティブはその多くが生協の生み出したネットワークが原動力となっているし、農村女性起業もまた、農協との関係の中で生まれてきた側面がある。ただそれを説明する際に、「協同」という共通項だけでは十分な理解を引き出すことはできない。そんな中、現代的な協同組合の姿を説明する上で私の到達したキーワードが前述の二つであった。「当事者性」、つまり協同組合とは、自ら課題を感知し、それを集団的に解決し、生活の質を高めるためのツールであること、そして「エンパワーメント」、つまりそのプロセスにおいて自らが参加することで、力をつけていくこと、である。
このような考え方に立つのならば、例えば戦後の生協は、特に高度経済成長期の中で生じた安全な食品の欠如という課題を、コープ商品の開発、生産者との協力による産直という流通ルートの開拓、そして班別予約共同購入というイノベーションをとおして組合員の参加による解決を図る、社会的なビジネスとして位置づけることができる。そしてこのことは、近年のコミュニティ・ビジネス(あるいはソーシャル・ビジネス)の源流とみることもできるだろうし、多様に展開される自助型・共助型の運動・ビジネス(例えば障害をもつ人々とその家族の運動や、子育て支援のサービスを自らつくり出す事業)との高い親和性をもつと言うことができるのではないだろうか。

「つながり」への違和感

 さて、だいぶ前置きが長くなってしまったが、この私のやや当然と思われるかもしれない協同組合に対する理解は、今回の総会シンポジウムとかなり密接な関係を持つのではないか、と考えている。今回のシンポジウムは、ここ数年継続されている議論をもとに「地域におけるくらしの変化と協同力:『都市社会における新しい「つながり」づくりと協同組合』をテーマとしていた。
私はこのテーマを見て、相互に関連する二つの違和感を持った。一つは新しい「つながり」とは、これまでの「つながり」と何か質的に異なるものなのだろうか、という点であり、もう一つはつながりを「つくる」、ということが可能なのかどうか、あるいは「つくる」という行為を生協が行うべきなのだろうか、である。
やや個人的な体験を述べると、私はポスト団塊ジュニア世代(あるいはロスト・ジェネレーション)にあたり、地方都市の一戸建てに育った。また、親族が近隣に居住し、そのネットワークが強固に機能していた。そのような環境でネットワークが与えられた状態で育った人間として――つまり高度経済成長もニュータウンも知らぬ世代として。あるいは既存のイデオロギーやコミュニティからは一歩引いた存在として――は、それまでどのような「つながり」が存在していて、それがいかに崩れているのか、リアルに実感することができていない。また、現在東京都内で暮らす中で私が持っている「つながり」は、地縁ではなく、職場や趣味、関心を中心としたいわゆる選択的な縁なのである。もちろん、それを可能にしている条件が存在しているからなのではあるが。
このような個人的な経験をもとに言うならば、つながりは誰かパターナリスティックに「つくらなくてはならない」という前提で議論する必要はないと思える。もちろん、私は「つながり」に価値がないという指摘をするつもりはない。人と人とのつながりがリスクを低下させ、生活の質を高める可能性があることは、後に指摘するシンポジウムでの全ての事例が物語っているし、組合員のくらしの最前線にいる生協の事業と活動の現場では、それが実感として受け止められていることは確かであろう。
ところで、平成19年版の『国民生活白書』は、「つながりが築く豊かな国民生活」をタイトルに掲げ、家族・地域・職場のつながりが希薄化した要因を探り、それを再構築できるようなワーク・ライフ・バランス等の諸政策の必要性を説くが、そもそも「つながり」を再生すること=国民生活が豊かに、というやや単純なロジックが見過ごしがちなことについては指摘しておいてもよいと思う。すなわち、つながりの再構築は「誰が担うのか?」という簡単な問いである。かつて政府は家族を福祉の「含み資産」と位置づけ(1979年版『厚生白書』)、日本型福祉社会の構築においては家族(ここでは女性)が構成員を扶助することができると指摘してはばからなかった。つながりを再構築する(=共同体の再生)という文脈が、規範的な貢献によって維持されるのならば、すでにその限界はみえている。そうではなく、シンポジウムで指摘されたことは、生協という組合員の自発性にもとづいた社会的な組織が、パターナリスティックにつながりをつくりだすのではなく、その構成員が当事者として自ら課題を解決しようとする試みであり、このことによって当事者が生き生きとくらして行く力をつけていく、ということに意味があるのである。このような前提のもとに、特に第1日目のシンポジウムでの議論をとらえてみたい。

生協のつくった「つながり」を評価する

 浜岡報告は、生協が高度経済成長期という時代にパラレルに発展してきたと指摘する。すなわち、地方から東京圏など都市への急速な人口移動と郊外団地への居住形態の確立、そして主婦の誕生という現象と、それに伴って整備が追いつかなかった社会サービスや社会基盤に対して、住民としてそれらを要求し、あるいは自らつくり出す運動の一部分として、生協の発展をとらえる視点であろう。それは例えば保育所をつくる運動と同様に、安全で安心な食品を、適切な価格で、便利に手に入れたいという共通の願いを持った住民――つまりは当事者の運動であったと言えよう。
さらに浜岡報告が指摘するとおり、この当事者性はそれまでの地縁団体のように選択不可能な関係性ではなく、「参加したい人が参加する」選択的な関係性であったということも言える。従ってここでは高度経済成長期における生協を、比較的同質的な組合員による「選択的当事者組織」としてとらえてみたい。つまり、保育サービスのように、商品をとおして当事者性が発揮されたのであり、「つながり」はその必要に応じてつくられてきた、それに対して生協という仕組みが有効だった、ということができるだろう。また同時に、生協の高度経済成長期の発展を支えた班別予約共同購入というビジネス・モデルは、自発的な参加に基づいていたとはいえ、地理的な協力関係をも内包していた。つまり、新しい地縁を作り出したという言い方もできるだろう。この意味において、生協は新しい「つながり」をつくってきたと評価できる。
80年代以降の生協の成長と発展は、それが社会のニーズに合致していたことの証左であるだろうが、それはかつてのような同質性を前提とした展開とは、おそらく質的に異なっている。この過程でつながりが欠落した、あるいは組合員がただの消費者に転換したという指摘は、やや一面的だといえる。もはや規模的にも、質的にも、組合員の多様性を前提とした事業展開が今日的には求められているのであるし、それは生協の側から組合員にアプローチすることのみならず、くらしの中に生協を取り入れる組合員の側の視点である。
例えば平成17年度の国勢調査によると、特に単独世帯の増加率が著しいし、その傾向は特に若年層・高齢層に特徴的でもある。おそらく個配というビジネス・モデルが成立した前提には、従来生協が組合員に対して提供してきたメニューが、人々のライフスタイルの多様化の中で十分に機能していないという理解があったのだと考えられる。人々の、そして地域のライフスタイルやつながりが変化する中で、その変化を生協がいかに感知しようとしてきたのか、である。その中では、組合員の参加形態も多様な層を想定する必要があるだろう。おそらく誰もが時間をかけて運営に参加することはできない。商品を利用する=生協に共感する=組合員参加ととらえる、ということ自体がくらしの中に生協を取り入れる人の視点であり、それもまたつながりと言うこともできるだろう。一人一票という民主的参加のプロセスを否定するものではないが、参加とつながりの多様性を認識した設計が課題と考えられる。

主語は「生協」ではなく

 浜岡報告に続く事例報告では、向井忍氏(めいきん生協)が、事業の現場から組合員の、そして地域のニーズを発見し、それを満たしていくための生協としての取り組みを、「安心して暮らせるネットワークのつどい」という事例をもとに紹介した。中村八重子氏(南医療生協)は、班活動を中心として、組合員の参加型のヘルパーステーション、グループホームなどの介護施設づくりや事業形成、活動づくりの事例を紹介した。その際のキーワードとして、「顔がみえて、声の届く」まちづくりに支部活動によって取り組むことが上げられている。そして、塚越敎子氏(特定非営利活動法人くらし協同館なかよし)は、生協の店舗閉鎖によって高齢者の地域の重要な拠点がなくなる、という危機感から、店舗を運営するNPOを設立したという事例を紹介した。3報告に共通する視点は、必ずしも「生協発」ではなく、目に見える形で地域の当事者自身のニーズを生協という仕組みの中で満たしていくのか、というものであろうと思う。向井報告、そして昨年度事例報告のあった生協しまねの「おたがいさま」でもそうだが、当事者である組合員の困りごと、生活の実態を、「あらためて知る」ことがスタートラインだった。中村報告もまた、どのような施設がほしいのか、という参加型の事業づくりであった。そして塚越報告がおそらく今回のシンポジウムの中でもテーマを体現しているものであったが、協同で店舗を運営し、さらに農産物の委託販売方式の導入、様々な趣味の活動を導入することで、あるいはそこで働くことができるということで、健康に生き続けられる地域を形成するということであった。
今回のシンポジウムで言う「つながり」づくりとは、かつてあったかどうか分からない「つながり」を取り戻すというよりは、生協組合員の当事者性――くらしのニーズをみつけていく、それを生協という(狭い)枠の中で考えるのではなく、地域で起こっていることにアンテナを張り、その地域の当事者としての組合員=住民の現実をとらえ、生協の持てる資源をその問題解決に使用する、ということだろう。もちろんその中では、「商品」が依然最も重要な位置づけを持っている。商品やサービスを中心に、組合員である以前に地域の住民である生活をサポートすること、それが地域に埋め込まれた生協の存在を強化することになるだろう。新しい「つながり」は生協の外にあって、その発展が生協に影響を及ぼす、またその逆のベクトルも存在する、ダイナミックなプロセスのことかもしれない。

若干の指摘

 最後に、今回の総会シンポジウムでの議論を踏まえて、今後議論して頂きたいこと、あるいは一緒に議論したいことを、いくつか指摘させて頂く。一つには、やはり生協事業が財やサービスの購入というプロセスを通じて存在していると考える以上、組合員の購買行動からみる生活実態をデータを検証しながらみていく必要があると考える。「地域社会」というレベルもあるが、「私」「私の家族」発の生活をつぶさにみること。例えば2006年度の分散会で提起された「かぼちゃ」をめぐる自主研究会での報告(『協う』2008年6月号を参照のこと)のような、マーケティングのアプローチが登場してきても良い。
もう一つは、地域の中で生協はどのような存在なのか、いわば生協の「公益性」とは何か、という観点である。協同組合は、組合員の相互扶助的な組織であり、原理的には共益型の組織だと言うことができるが、特に生協の現実的な姿をみるに、一定程度、地域にとってなくてはならない存在となっているとも言える。例えば多くの生協が自治体と結んでいる災害時の物資提供協定、消費者団体として審議会や委員会への参加、そして介護保険・子育て支援などの社会サービスの提供など、地域への多様な関与がなされている。社会的存在として生協の共益性を拡張し、公益性とをつなぐ概念形成が求められているのではないかと考える。その際に重要なキーワードは「協働」であろう。それぞれの主体が個々に活動するだけではなく、地域の課題を共有し、その解決のために、自治体や商工団体、福祉団体、NPO等を含めた地域の多様な主体との協働が、分野ごと・また多様なレベルで求められている。地域住民のニーズは、組合員それぞれの生活の中で実感されることであり、生協はそれを感知するための装置をたくさん有している。そのことを再度とらえることが、「新しい」つながり「づくり」であると言うことができるだろう。(やまぐち こうへい)