『協う』2008年8月号 私の研究紹介

私の研究紹介
第10回 上野勝代さん 神戸女子大学教授 当研究所研究委員

コミュニティがつなぐ居住空間を求めて

聞き手:三重遷一(京都大学大学院経済学研究科 博士後期課程)

 

 ご専門の住生活学・ハウジング論・居住福祉の道にすすまれたきっかけからお話ください。
  私が奈良女子大学家政学部住居保健学科に進んだのは母親の影響と個人の体験によるものです。
  私は山口県宇部市で敗戦間際の1945年に生まれました。そこは公害の町、宇部興産を中心とした化学工業都市で、私は下町のほうの家に暮らしておりました。私の母親は、祖父が亡くなるなど色々あったため、小学校で中退せざるをえなかったという家庭でした。母は死ぬ間際にも「小学校に行けた夢を見た。すごく楽しかった」と言っていました。また、母は、高校の頃まで身体が弱かった私を気遣って、「女性も、どのようなときでも生きていけるように、自立できるようにしなさい」と言って、小さい時からいろいろな習い事をさせました。でも、みな、上達できず、「身体も弱いし、どういう生き方をしたらいいのだろう」と、高校時代は悩みました。
  大学にすすんでも「これでよかったのかな」と悩んでいたとき、建築学生会議がありました。それは、国際的な建築系の集まりに日本からも学生を派遣しようということでできた建築系の学生による自主的な全国組織でした。私は、その中の「住宅問題」に所属しました。当時、田中恒子さん(当研究所 前研究員)がOBとして学習会に出て来られ、エンゲルスの住宅問題の話を研究会でなさったのです。私は全然わからない、それを彼女は見事に解説され、「こんな考え方があるのか」と強く印象に残りました。それから、大阪の不良住宅地区に行き、その姿にもショックを受け、住宅問題に関心をもちました。あわせて、住居保健学科の保健コースもとっていましたので、公衆衛生学・予防医学の授業にも影響を受けました。
  それと、おばあちゃんがいる家族で暮らしていましたから、嫁と姑の問題や家父長制の下でのジェンダーの問題など母の苦労もずっと見てきました。ある意味で、人間の幸福というのは家があるだけではだめで、社会制度や地域・家族のあり方も含めたソフトが豊かになって初めて幸せになるのではないか、と思いました。

 マンションという新しい共同住宅形態の問題性やそれと地域コミュニティとの関係がクローズアップされていますが。
  私がマンションについて京都市でおこなった主な研究は、分譲・リースマンションという、投資目的のマンションを対象にしたものです。バブル期前から投資家向けに1棟丸ごとワンルームという形で建てられたものが、当時の京都の景観問題や住人のマナーの悪さで大きな社会問題となりました。それが、住民運動や市側の指導もあって、ある程度えげつない形にはしなくなったのですが、実はワンルームとファミリーを混ぜ合わせた、見えないかたちで供給されてる状況が現在も続いています。マンションに居住している人といっても、ワンルームに入っている学生や単身者はコミュニティに対する関心はあまり無いようですが、ファミリーで入っている方は概して、生活の基盤として根付いている人たちで、コミュニティに溶け込みたいと思っている方も多い。古い町内会では従来の住人の数よりも、新しく入居した人の数の方がグッと多い所もでてきますが、祇園祭の鉾町では「祇園祭を存続していくために」ということでマンションの住人に働きかけをしている所もあります。新しい住人の中にはその地域に根付いていこうという芽もあるので、それを伸ばしていく点にも注目する必要があるのではないかと思います。
  ところで、ワンルームのリースマンションを購入した投資家の多くは儲かっておらず、また管理組合がきちんと機能して今後どうやっていくのかという見通しも持っていませんので、地域ストックの視点からも問題となるでしょう。そういう商品化された形のマンションについては一定の規制や対策を考えていかなければいけないと思います。また、計画の時から、開発業者と地元町内会との間での話し合いが大切であって、入ってきた人・買った人が悪いわけではない。開発業者が、きちっとすべきことではないかと思います。コミュニティの問題は、歴史都市である京都に住む人だけが考えねばいけないという問題ではなく、どこも共通ではないでしょうか。

 住まいについての意識の変化についてはいかがでしょうか。
  阪神淡路大震災を契機として、13年前に日本弁護士連合会の人たちが中心となって欠陥住宅問題の全国ネットが立ち上がり、そこに私も参加しました。弁護士と建築士など専門家のネットワークがそこでやっと確立したのです。それまでは個人的にがんばってこられた方はいましたが、弁護士も欠陥住宅に対してどう闘ったらいいのかわからなかった。建築士も社会的な地位が脆弱で、会社の中に入っている人も多く、独立した立場ではありません。そのような中、弁護士や専門家とのネットワークを組んだことで、この問題に関心がある建築士も安心して参加するようになりました。こうして、問題が起こっても相談できる専門家の窓口や組織が全国的につくられました。
  阪神大震災後、特に耐震偽装問題が起こって以後、消費者の住まいに対する関心は高くなっていて、ある部分は安全性が担保されたのは事実ですが、問題点も多くあります。
  例えば、確認申請、中間検査や完了検査を以前は地方自治体が行っていましたが、民営化されました。公務員の削減とからんで、何でも市場化していますが、安全の部分は、ある意味で民間の市場に投げ出すことは基本的にはいいこととは思えないという立場を私はとっています。また、私は、安全性と同時に、これからの住まいは、サスティナブルな視点から総合的に見て、いい住まいをつくっていくべきだと思います。

 グループリビング、コレクティブ住宅についてはどうお考えでしょうか。
  日本ではグループホームというのは認知症の人たちのための小規模なホームのことを言いますが、ここでいうグループリビングというのは、いちおう生活が自立できる人たちがプライバシーを損なわず、助け合いながら小規模なグループが協同で住む居住の形態をいいます。
  家族の形は歴史的に変わってきています。かつてのように、高齢者は大家族の時には、家にいて死を迎えましたが、核家族では、多くは病院で最期を迎えました。また、日常生活の場としては、介護が必要な人たちのための特別養護老人ホーム、あるいは老人病院、ケアハウス、若干のケアを必要とする人たちのグループホームなどがあります。これらは施設です。一方、グループリビングというのは、住宅と施設との間の中間形態です。どちらかというと住宅に近く施設ではないのです。
  北欧のグループリビング(コ・ハウジング)というのは、まずグループができます。グループの人の意見を聞いて、空間が設計されます。各戸は普通の住宅であり、加えて共同の空間を持つ形態です。北欧では各戸は完全に普通の高齢者用住宅と同じで、2室あって、バス・トイレ・キッチンもあります。何が優先されるのか、協同の生活も自分たちで決めていくのです。
  日本で私が注目したいのは「COCO湘南台」です。COCOはコーポラティブ・コミュニティの略語です。そこは、10人の方が集まっていて、各人の部屋の広さは15畳くらい。共同の居間、会議室、ゲストルームがあり、菜園も持っています。生活費は遺族年金で暮らせる程度で月額16万円まで。そのうちの12~13万円が家賃と食費です。ここの良さは、はじめに研究会を立ち上げていることです。研究会は、福祉、医療、ホームヘルパーや、ケアをする人、サポートする人、研究者、行政の人たちで立ち上げて、皆で何が必要かを議論して、長い時間をかけてつくってこられています。
  もうひとつに、「震災復興型コレクティブ」があります。阪神淡路大震災後、仮設住宅で孤独死をされる人たちが出た一方で、ケア付仮設住宅では一人も亡くなりませんでした。兵庫県は仮設住宅の調査で単身の高齢者が多いことがわかったので、公営住宅の全団地を高齢者対応にし、同時に、社会実験として北欧型のコレクティブ住宅(=内容はグループリビング)を6か所つくりました。空間的には意欲的でよかったと思うのですが、その後の生活ではいろいろと問題も出てきました。実は、公営のため、建物をつくる前に入居者に意見を聞くということはできませんでした。
  COCO湘南台ではデイスカッションして内容を決めてから建物がつくられましたが、それとは反対になってしまっていました。公営住宅だから「公平に」募集したら、定員割れが起こってしまいました。公営住宅は戸あたりの面積基準が決まっていますから、そこから共有部分を引くこととなり、コレクティブの各住戸は他の一般住宅と比べて狭いので、より人気が無かったようです。また、再募集をするのですが、問題は入居者の中には自立できない人も含まれていたのです。それでは自立して助けあうという当初の趣旨とは違うものとなります。また、大きな問題点は、共有スペースの経費が共益費であるため、家賃よりも高い人も多くなり「あそこを使うと高くなるから」と使わなくなるなど、システムとして、ミスマッチが起きてしまいました。もちろんグループによっては今でも頑張ってやっているところもありますが、システムとして間違いだった、と。その後できた大阪府の「ふれあい住宅」の場合は、その経験を生かして事前に勉強会をしました。コレクティブとはどんな生活なのかということから勉強会をして、応募するわけです。また、N市では共益費を負担し、ライフアドバイザーも派遣するという形をとったことで、何とかうまくスタートしました。
  日本でもこういったグループで住む形は70年代後半からは、公民ともに事例があります。ただ、どちらも、うまくいくところといかないところがあります。この居住形態の良否は人間関係・コミュニケーション能力に左右されますから、それまでの人的な紐帯が、どういうふうに活かされるかどうか、というのが問題です。震災復興で受け皿住宅として作られた神戸市の場合は、その地域の人をそのままそっくり入れたのでうまくいきました。
  ノルウェーの高齢者のためのハウジングは地域性を大事にします。その地域に住んでいる人というグループ、まあまあお互いを知っている人のグループ、価値観を同じにする人たちのグループ、というグループ形成でないとうまくいきません。
  日本のグループリビングに固有の困難な問題はありますが、高齢者の独り暮らしが今後増えていくわけですから実現させていってほしい。デンマークでは、ずっと続いていますし、入居者やこどもたちの評価が高いです。日本で実施する際には、是非、生協には加わってほしいです。

 女性世帯のための福祉施設の位置づけについてお聞かせください。
  女性世帯のための福祉施設としては、公営住宅・かつての母子寮である母子生活支援施設そして女性保護施設があります。これらの施設だけではなく、互いに共感しあい助け合えるところとして、グループリビングできるような施設が必要です。 私は数年前に公的な母子寮を見に行って、ショックを受けました。世の中の住宅はこんなによくなってきているのに、そこはまるで取り残された谷間のように、空間の水準の悪いままでした。老朽化や狭さに加え、プライバシーがなく外から見えるようになっているのです。外からなぜ見えるかというと「自殺されたら困る」とか「火事を起こされては困る」からで、生活そのものが全部コントロールされていて、お風呂や食事の時間も決まっています。使いにくいのではと質問すると「こんなところは嫌だから早く出たいと思うことが自立することになるのです」とスタッフの方はいいました。他方、民間では入居者を支援するために涙ぐましい努力をされている人達もおられます。またそうしたスタッフの人たちの努力によって空間の設置基準は近年改善されてきたのも事実です。
  他方、DV(家庭内暴力)の避難所となる婦人相談所や婦人保護施設の空間設置基準となる法律は売春防止法です。婦人保護施設の多くは売春防止法の対象者をいれる「更生施設」だったので、居室1人あたり約2畳つまり6畳間に3人の雑居でもよく狭く、子どもを連れてくると思われていないので、子どもたちの遊び場もありません。もう事態は変わってきてDV防止法ができているのに、空間の依拠する法律だけは生きています。DVの被害者たちは被害者であって、罪を犯した人ではないわけです。もちろん売春防止法の女性たちもそうですが。せっかく逃げ出してきたのに、施設に行ってみて「ここに入るくらいだったら帰ります」という人もいるとききます。築後40年で建て替えも多くなってきていますが、そこはきれいな保護所のようで、材料は立派で安全ではありますが、居心地のいい癒される住宅的な空間になっているとはまだまだ言えないようにみえます。
  ところで、日本の中では、住宅は私的に所有するもの、それに公的なお金をつぎこむことに対する拒否反応があります。ですから私は、北欧の住宅協同組合にはなぜ公的支援をするのかを質問したことがあります。関係者はそこの団地を皆がきちっと管理してくれたら、警察の出動回数も消防の出動回数も少なくなり、健康を維持できる。経済的にトータルに見れば福祉の維持費が削減されることになる。そうすると、税金の使い方として必ずしも高くならない、といいます。

 女性のまちづくり運動への参加についてお聞かせください。
「女性を巻き込んだまちづくり」というノルウェーの環境省が行った地域・都市・総合計画の中で、女性たちを大量に巻き込んで参画させることでつくった計画案と、従来型の計画案がどう違うのかという社会実験をやりました。結果として、女性たちが参加することで、女性の置かれている社会的な生活の中での状況を反映する、育児や介護、福祉の面、ゴミ問題とかの、まさに現場の当事者の意見が反映されてきたということです。
  女性が関心を持つあるいは問題解決してほしいというところからスタートすると、その生活の現場にいる人たちの意見が出てくるわけです。女性の視点というのは時代や、社会的背景によって異なるでしょう。例えば、イスラムの女性たちとノルウェーの女性たちの場合は違うでしょうし、日本人では儒教の影響もあってジェンダーの視点よりも母親の立場としての意見の方が堂々と言えるというようにその女性の置かれた状況を表した視点があります。専業主婦として文化的行事に触れることが家計や時間的な点で厳しいと、文化的な面での要求が出てきています。生活の中の、現場にいる人たちこそ問題点がよく見えるものです。それを今までは上が汲み取るという形でしたが、現場にいる人をそのまま計画策定にとりこんでいくといいです。ただ女性の場合、社会的訓練の経験が少ないために、「こうしてください」「これは困ります」とは言いますが、対案を作ったり、不満や願いをどう政策提言したらいいか、そこの訓練が足りないようにみえます。そこをしっかりしたら、女性たちはもっとエンパワーメントされていくと思います。

 住みよい住まいのあり方についてお話ください。
健康で快適な住まいという健康の概念が、物理的、精神的、社会的にありますが、この中で社会的というのが日本では難しい。それと今、議論されているのが、スピリチュアル・ヘルスですが、生き甲斐を持って生きる、生き甲斐と訳したらいいのでしょうか。今、日本ではへんなスピリチュアルがありますので訳すにも注意が必要ですが、この空間、こういう住まいや居住環境だったら生きる意欲が出る、安心できる、社会参加ができるという、広い意味での健康で安心できる住まいや住環境になればいいと思います。そしてそれはすべての人に保障されなくてはいけません。施設でも、そこで寝て、食べて、生活しているというのは、ある意味で住まいなのですね。だから、あらゆる場所で、そういうことが保障されていってほしいと思います。
  震災復興住宅でコレクティブ住宅と一般住宅を比べた時に、前者では孤独死はありませんでしたが、後者では孤独死がありました。だから一見、きれいで安全な住宅だけど、人間というのは、それだけでは生きる意欲がわかない。孤独死したことは経済が原因だと言われるかもしれないけど、もちろん経済的な苦労もあるかもしれません。しかし、周囲のつながり、人々との関係があって、たとえ大変であっても互いに支えあえる環境、それが生きがいと関係していると思います。その点で、地域コミュニティとのつながりという視点を持った住宅づくりが大切になってきます。


  
うえの かつよ
神戸女子大学家政学部教授
主な所属学会:日本家政学会、日本建築学会、日本生活学会、日本都市計画学会、日本居住学会など
主な研究テーマ:女性の視点からみた住宅・まちづくりに関する研究、北欧における住宅協同組合に関する研究、ドメスティックバイオレンスに対するシェルター研究等