『協う』2008年8月号 書評2


辻井喬・上野千鶴子 著
「ポスト消費社会のゆくえ」

加賀美太記 京都大学大学院経済学研究科博士後期課程・『協う』編集委員

 

 昨今、百貨店業界の再編が劇的に進んでいる。大丸と松坂屋、阪急と阪神、そして三越と伊勢丹の合併と、経営規模の拡大が相次いで図られている。それにも関わらず、流通業界における百貨店の地位の低下は止まらず、コンビニエンスストアや各種専門量販店(カテゴリーキラー)の伸長が著しい。また、現在ではネット通販やアウトレットモールといった新興業態も売上を伸ばしており、かつて流通業の花形であった総合スーパーや百貨店は苦戦を強いられている。
このように流通業界が大きく変化した原因は、各業態・各企業の経営戦略の巧拙もあるだろうが、むしろ日本の消費社会そのものが変化したことにあると言えるだろう。本書は、そのような戦後から90年代に至るまでの日本消費社会の変化を概括するものである。また、本書は元セゾングループ会長・堤清二(文筆名は辻井喬)と、消費社会論についても造詣の深い社会学者・上野千鶴子の対談という形式を取りながら、消費社会に大きな影響を与えた企業の視点を中心に据えている。以下で簡単に内容を紹介するが、平板に歴史を解説した通り一遍の教科書とは大きく異なっている。
  日本の消費社会は、戦後すぐに朝鮮特需という「追い風」を受けて急速な復興を果たし、60年代の高度成長期には大衆消費社会に突入した。第一次流通革命と呼ばれる流通業界の変化が起こったのも、この時期であった。堤清二が独自の哲学を持った経営者であったこともあり、西武百貨店を核としたセゾングループは他の呉服店系百貨店と異なった、独自の経営戦略をとっていた。大卒新人の積極採用や労働組合の設立という経営面の変革だけでなく、現代アートの紹介や美術館開設などの先駆的な文化事業、デベロッパーとして街全体を造り替えた渋谷の開発、そして外部クリエイターを積極的に活用した企業広告など、80年代までの大衆消費社会を狙ったイメージマーケティングで常に業界をリードする存在であった。
  しかし、80年代後半から大衆消費社会から個人消費社会への変化が始まる。この変化を受けて、それまでの流通業の主役であった百貨店や総合スーパーの凋落が始まった。バブルの崩壊はそれに拍車をかけ、91年のピーク時には10兆円近かった百貨店全体の売上は急速に落ち込んだ。西武百貨店も例外ではなく、グループ全体でもデベロッパー事業を中心に経営が悪化し、グループの解体は少しずつ進んでいった。
  このように社会におけるコミュニケーションが細分化し、いわば気の会う仲間内に閉じこもる傾向が強まるにつれて、ターゲットを絞らない小売業態の多くが困難に直面している。日本消費社会の特殊性であった普段はコンビニ弁当を食べている若者が、時に高級レストランへ行くという行動に代表される消費生活の非階層性も徐々に変化の兆しを見せている。一方で、日本の消費生活のもうひとつの特徴である多様性、すなわち生鮮を筆頭とした食品の安全や鮮度に対する高い評価基準や、日々献立を変化させることで食事を楽しむという成熟した食文化は健在であり、この点を活かした業態は存続するだろうし、日本の生協が生き延びた理由もそこにあると指摘されている。
  以上のように、本書は戦後日本の消費社会の変化と、その変化に影響を与えながら苦闘する企業について実に生き生きと論じている。また、辻井は「自立した消費者」論に共感しつつも、現代においてそれがどこまで受け入れられるのか、そもそも自立した消費者は自立した市民なのか、と疑問を投げかけている。矛盾を感じつつも消費者への啓蒙を進める辻井の悩みは興味深い。さらに、本書は対談という性格から、議論の内容が多岐にわたり、西武百貨店の経営を語りながら、時に時代や思想に話が及んでいる。経営・企業と民主主義、男女雇用機会均等法の役割と挫折、そして共同体の新しいあり方から、日本社会における価値観の変遷など、あまりの広がりぶりに正直戸惑ってしまう一面もあった。そのため、より焦点の絞られた議論を聞きたいと思うが、それでも消費社会論に留まらず、今日の社会状況に対して多くの示唆を与えてくれる書籍だろう。 

(かがみ たいき)