『協う』2008年6月号 私の研究紹介

私の研究紹介
第9回 二場邦彦さん 立命館大学名誉教授 当研究所研究委員

中小企業研究における協同事業とマネージメント

聞き手:望月 康平(京都大学大学院 博士後期課程、『協う』編集委員)

 研究者を目指したきっかけと、現在の専門分野を選ばれたきっかけをお聞かせください。
  大学院時代には恐慌論をやりました。恐慌論を選んだ理由は、資本主義社会の最も基本的な矛盾を解き明かすためには重要だと思ったからですが、私の関心は、恐慌への対応や予測など、どちらかといえば具体的なところにありました。しかし、その前提になる恐慌の理論は当時は非常に抽象的で、「ヘーゲルを理解しないと恐慌の理論はやれない。ずいぶんまだるっこい研究の道のりだ」という感じを持っていました。ですから、大学院で研究をしながら、同時に経済の具体的なところに触れたいという気持ちが非常に強かったですね。
  そのとき、日本生産性本部から、中小企業の経営コンサルタント養成講座(1年コース)の話が来まして、博士課程3年のときに東京で1年間その研修を受けました。このときは工場に行って、作業をストップウォッチで測ったりもしました。それが終わった後、大阪の生産性関西地方本部(現・関西生産性本部)で経営コンサルタントの仕事を5年間ほどやりました。そのなかで経営の実際の姿や、経営のなかでの人材の重要性などを理解することができたように思います。
  しかし、経営コンサルタントをしていますと、どこの企業に行っても、中小企業の近代化、経営者の問題、資金繰りなど、似たような問題にぶつかるわけで、そこから政策的な、社会全体への対応の必要性を感じるようになりました。そのときに立命館大学から中小企業論担当でというお話があって、大学に戻ってきました。

 
  専門は中小企業の経営学ですが、中小企業論とはどのような研究分野なのでしょうか。
  歴史的・理論的・政策的に中小企業を研究するのですが、生じている具体的な問題をどう理解しどう対応するかという実践的な性格が強く、常に現地調査を伴う研究領域です。私も、伝統産業から近代産業まで、京都・滋賀のいろんな業種、20~30ぐらいを調査してきました。それから、商店街の近代化や市町村の商業近代化のプランづくり、個々の企業の調査やアドバイスなどですね。
  そうやって診断や勧告をしてきて、勧告が間違っていることはあまりないと思うのですが、それが実践され成果に結びつくかどうかは、企業の社長や部長、あるいは組織のトップなどの、間に立った人の理解力と実践力によって違ってきます。
  中小企業論そのものがこのような性格を持った学問分野ですから、現場に触れないと意味がありません。しかし、研究する上でコンサルタントの経験は役立ちましたが、個別のケースを積み上げるだけでは一般に当てはまる理論にはならないので、そこに理論化の努力が必要になります。

 社会経済のなかで中小企業はどのような役割を果たしてきたのでしょうか。
  昔もいまも、中小企業は働く人の7~8割にとって「所得を獲得する場」です。また、地方に行けば行くほど、その地域の経済を支えているのは中小企業なのですから、人びとの生活と地域経済の安定のために、中小企業は欠かすことのできない重要な役割を果たしていると言えます。
  同時に、社会のイノベーションといいますか、新しい試みをしたり、新しいアイデアを出すという点、すなわち経済の発展という意味でも重要な役割を果たしてきたといえますね。経済環境が変化するなかで、産地のあり方や主要商品も変化していきます。例えば、新潟県の燕市ですね。燕市は、大正時代から輸出金属洋食器の生産地になるのですが、戦後に輸出が行き詰まると、国内向けの高級化を進めるとともに、魔法瓶の内側の金属やゴルフのチタンのヘッドといった新しい製品分野を開発するなど、産地のなかで次々とイノベーションが起こって、新しい製品を生み出しながら、地域を支える産業として持続しています。

 
  中小企業の置かれている状況の厳しさが伝えられていますが、現状はどうなのでしょうか。
  いつの時代も、自分で企業を起こすことで自分の人生を切り開いてきた人たちがいますから、あえて「ベンチャー」という言葉を使わなくても、まちの小売商店はもちろんのこと、最近ではITなどの新分野を含めていろいろな形で業を起こす機会があります。このように、常に新しい企業が生まれる一方で、世の中の変化に対応しきれなくて消えていく中小企業もあります。
  それを踏まえつつ現状を考えると、グローバル化に代表されるように、経営環境がマーケット的にもコスト的にも従来は想像できなかったような厳しさを持つようになりました。そういう厳しい状況のなかで、他方では、経済が成熟化し人びとのニーズは非常に多様化して、必需的なニーズだけでなく、サービス的分野に対する多様なニーズが広がっています。こうしたニーズの広がりが、「ニッチマーケット」と呼ばれるような小さなマーケットを成立させているし、その小さなマーケットに効率よく対応できる技術的可能性として、ITが非常に発展し、交通網や運送システムも大きく発展しています。すなわち、小さなマーケットを対象にして、小さな企業が効率よくやっていける可能性が広がっているわけです。
  そういうわけで、全体としては非常に厳しい状況になるなかで、他方では、中小企業として対応していける可能性も広がってきていると言えます。こうした可能性を現実のものとするには、やはり経営が優れていなければならない。中小企業の経営者のあり方や経営の優劣が重要になります。
  現在、中小企業は非常に二極化していて、対応できずに消えていく企業と、チャンスをうまくつかんで発展している企業に分かれています。数としては後者のほうが少ないでしょうが。

 中小企業の置かれている状況が厳しい中、どのような政策が必要なのでしょうか。
  中小企業は、製造業から商業まで業種もさまざまで、経営の優劣もピンからキリまでいろいろですが、マジョリティに焦点を合わせて考える場合、議論の仕方として多少単純化すると、2つのタイプがあります。ひとつは「社会が変わらないと中小企業の困難も解決できない」という、中小企業の困難の原因を社会のあり方に還元していくタイプです。他方の極端は、「経営がまずいからだ」という、経営者や経営のあり方に還元するタイプです。しかし、現実にはこの両方の要因が作用しているわけですから、社会のあり方を考えるなかで経営者論や経営論をどう位置づけるかが大変重要になっていると思います。
  社会のあり方との関係では、独占禁止法を中心にした取引条件の公正化やセーフティネットワークのように環境の激変に対応できない企業に対する緩和的対策も必要になります。それと同時に、地域に存立し地域経済を支えているという面では、自治体行政との関係が重要になります。
  しかし、社会的規制に偏重しすぎて、経営論を軽視する考え方には問題があります。一例として、1981年に、京都市議会が5年間の「大型店出店凍結宣言」を議決したことがあるのですが、この5年間の期間の間に、大型店の出店はほとんどありませんでした。ところが、5年の期間が過ぎた後、大型店が一斉に進出してきたのです。問題なのは、凍結していた5年の間、京都の商店街が質的にあまり変わらなかったということです。
  たしかに社会的規制等、社会的な条件をつくることは必要ですが、それと同時に、中小企業の経営が「地域や消費者の役に立つ」という立場に立って、常に自己革新をやらないとだめなんですね。要求だけ出してもだめ、ということです。そこを重視して展開しないと、チャンスを生かして発展する企業を増やすことはできないので、やはり経営者論・経営論は重要です。

 実際に経営論を抱合した仕組みの政策を行っている例はあるのでしょうか。
  具体的な例として、イタリアの中小企業政策が挙げられます。サード・イタリアと呼ばれる北東部の地域には、いろいろな業種が集まっていて、それがイタリアの経済発展の原動力になってきました。これらの地域の中小業者にヒアリングすると、「日本の中小企業はいかに安くつくるかを中心に考えているのではないか。しかし、自分たちは常に新しいものをどうつくるかを考えている」と言うんですね。
  イタリアでは、新しいものをつくるために零細な企業でも情報収集に力を入れていて、主要な国際的な見本市での情報収集に費用を惜しみません。見本市には、多くの生産者が自分の商品を出品・展示し、それを買いつける企業も集まってきます。商品づくりについては、製品の企画・マーケティングをする「オルガナイザー」がいて、その人が「AとBとCの生産者をつなぐと思い通りのものができる」などと判断し、生産チームをつくっていきます。これは日本のように上下の関係ではなく、それぞれ専門的な技能を持つ生産者のネットワーク的関係の生産グループです。そういうつながりが産地のなかに無数にあって、出来上がった製品を小売店に直接販売したり、見本市で展示して、直接注文を取るといった形をとっています。
  こういう状況のなかで産地の企業の活動を地域の行政が支援しているわけです。具体的には、見本市への出品費用に一定の補助金を出したり、また行政が主体になって地域で見本市を開き人を集める活動をする、などが行われています。ファッション産業が盛んなフィレンツェでは、「フィレンツェの発展のためにはデザインを発展させなければいけない」ということで、ニューヨークのデザインの大学を誘致するなど、地域全体としての競争力を強める政策を系統的にやっています。
ただし、現在はイタリアの産地も、EUに加盟したことやグローバル化の影響で国際競争力が低下し、日本のように二極化が進んでいるようです。
 

 このような政策は日本にも応用できるのでしょうか。
  古い話で恐縮ですが、例として京都の蜷川府政の時代にあった、中小企業の代表者も参加して地域の産業政策を検討した協議会組織が挙げられます。協議会には中小企業の代表者以外に、行政や地域の経済諸組織の代表も入ります。また、この協議会の下部組織として、業種分野別に深く掘り下げて検討する委員会をつくります。そこでの調査・研究の結果によって、たとえば丹後機業の設備の近代化をどう進めるのか、納入先との取引条件をどう改善できるのか、金属工芸の分野では、そこに現代的なデザインをどうドッキングさせるのか、後継者の勉強の場をどうつくるのか、といったことが検討されました。いま京都で注目されている、機械金属の若手が中心で試作品の注文をネットで幅広く集め製品化していく「京都 試作ネット」の活動もこの流れの成果の一つだと思います。このような、中小企業が参加し、中小企業重視の視点で地域産業振興策を協議する組織の導入は少しずつ増えており、特に、東京都の墨田区、大阪府の八尾市などが良く知られています。
  自己革新できる中小企業と地域の行政が協力して、たとえば中小企業が情報を集めやすい仕組みとか、中小企業でも大学の研究者の知恵を借りながら研究開発してゆけるとか、中小企業が発展できる仕組みを地域でつくっていくことが大事です。

 経営者の自己革新を手助けする政策が必要とのご指摘ですが、経営者にはどのようなことが求められるのでしょうか。
  ひとつは経営者としての自覚を持って勉強することが非常に重要です。私は以前、雑誌『経済』の論文に「国民とともに歩む中小企業」というタイトルをつけたことがありますが、自分の企業が国民にどう役立つているのか、経営学の用語でいえば「どういうニーズを満たしているのか」ということを自覚し、そこを徹底して追求する意識や態度がどうしても必要になります。
  もうひとつは、そのようにやっていこうとすると、中小企業の場合、規模が小さく、経営資源も不十分で、金も人も少ないなかで、自分の企業が専門化していくと同時に、その専門性を生かすうえで必要な協同化も追求しなければなりません。

 中小企業と協同組合の関係をもう少し詳しくお聞かせください。
  中小企業は規模が小さく経営資源も少ないので、事業活動のうち協同でできる部分を共同事業化することで、規模の利益や取引上の立場の強化を実現しようとするので、通常は事業協同組合としての部分協同化が主体になります。ここでは一つひとつの中小企業の本体は自立しますので、いちばん大事な部分、たとえばマーケティングとか、製造業でいえば技術といった本業部分でなかなか共同事業化できないという弱みがあるわけです。
  こういう状況のもとで、経済のグローバル化という非常に難しい局面に入ったので、協同組合は非常に衰退しました。それぞれの企業の経営が苦しくなるので、自分の企業のいちばん大事な部分にエネルギーを注ぐようになり、全体として協同化の動きは非常に弱くなったのです。
  そこでわかってきたのは、それぞれの企業が戦略的に目指す方向を明確に持ったうえで、それを実現するために専門性を持った他の企業と協力すること、少数の企業間で連携関係をつくり質的な強化をはかることの重要性でした。従来の協同組合では、協同組合のメンバー全体がある共同事業に協力し量による利益の実現が考えられていましたが、むしろ協同組合のなかでの組合員同士がお互いに知り合い信頼関係がある程度できているという条件のもとで、小さなネットワークがたくさん生まれる。そういうことを通じて協同組合の活性化ができるのではないかということです。
 

 これまでの中小企業のお話は生協の運営にも共通点があるように感じたのですが、生協との関連ではいかがでしょうか。
  私が最初に生協と関わりを持ったのは、生協の出店に民主商工会(零細な商工業者の全国運動組織)が反対する動きのなかででした。当時は、生協の店舗が進出することで、従来からあった零細な小売店が大きな影響を受ける、ということで強い反対があり、そういう人たちとの協議に1年以上もかかるような状態でした。
  そういうなかで、「地域の生協の店と小さな小売業者がどう協力できるか」という問題意識が出てきて、いくつかの実践例も出てきました。
  たとえばコープこうべの場合、商店街に出店した店が商店街活動に積極的に協力し、清掃活動を率先してやって地域から評価されたり、また小売市場のなかで核店舗のような役割を果たす例などが生れました。また、京都では、城陽の店舗で、商店街との協力の一つとして生協がもっている商品や消費者についての情報を小売業者に伝えて活かしてもらったり、左京では何軒かの小売店がグループをつくって、生協組合員への一定の割引を含めて、小売店と組合員との交流を進めるなど、そういう取り組みが行われました。このようなことを通じて、生協と生協組合員が商業者や地域から評価され信頼を得ていくわけです。
  こうした経過で、生協と地域の小売店がどんな形で協力できるのかを考えるあたりから、研究上での生協との具体的な関係が生まれたわけです。
  そのときに非常に強く感じたのは、生協の店で地元の中小製造業者の商品を扱うことができないのかということでした。それをするには、生協全体として動いている大きなシステムのなかに、店舗単位で運用できる小さなシステムを組み込む仕組みづくりが非常に大事です。それぞれの店で、近くの信頼できる農業者とネットワークを結んで、朝どり野菜の店頭売りなどをしてもいいし、左京区の生協の店舗でしていたように、地元のおいしいパン屋さんのパンを扱ってもいいわけです。そういうふうに、地域の特徴ある商品を、各店舗の店長の判断で仕入れたりする、というイメージですね。この問題意識はいまも変わりません。現状を見ると、まだ生協はそうはなっていませんから。
また、生協に対する私の大きな問題関心はその「マネジメント」にあります。
  生協の場合、民間企業から優れたシステムや経験を学ぶ必要がありますが、それを生協の理念にそって生協流にどうモデファイ(修正)するかが非常に大事なのですが、まだ取り入れる方が主で十分にモデファイできていません。そのために、導入したものと生協本来の理念やあり方との矛盾が生まれてくるところがあります。それが、先ほどお話しした、各店舗ごとの小さなシステムがうまく運用できていないこととつながっているように思います。
  また、二つ目の問題として、理念を実現するためにどういうシステムにすればいいのか、どんな改善をすればいいのかということを、理事会の方針として徹底して議論しなければいけないのですが、必ずしもそれが十分にできていない。理事会での議論は、どちらかといえば「こうあってほしい、これが理想的なんじゃないか」といった感覚的な議論になりやすい所があります。しかし、やはり経営ですから、現場で実践できるような具体的な形に議論を掘り下げなければいけない。そこが十分に行われないままで、実践が常勤の人たちに委ねられるので、イノベーションが進みにくい、ということがあるだろうと思います。
  生協として社会や地域に対していろいろなことがやれる可能性はたくさんあるけれども、それを現実のものにするためにはマネジメントが非常に大事だと思うわけです。
  

プロフィール
二場邦彦(ふたば くにひこ)立命館大学名誉教授、前京都創成大学学長
主な所属学会:日本中小企業学会、日本経営学会、日本地域経済学会
主な研究テーマ:経営環境の変化と中小企業経営の革新、中小企業連携の諸形態 サードイタリアの中小企業