『協う』2008年4月号 私の研究紹介
第8回 若林靖永さん 京都大学教授 当研究所研究委員
マーケティング研究における生協の面白さとインターネットの発展
聞き手:加賀美 太記 (京都大学大学院 経済学研究科 博士後期課程・『協う』 編集委員)
最初に研究者をめざそうとされたきっかけと、現在の研究分野を選ばれたきっかけからお聞かせ下さい。
私は1979年 (昭和54年) に京都大学経済学部に入学しました。もともと、私は父親の影響もあって、また家には多くの本があったので、小さい頃から本を読むのが大好きでした。しかもジャンルは問わず、推理小説や歴史小説、古典文学のみならず歴史、自然科学、科学技術、偉人伝など、幅広く読んでいました。また、父親に色々なところに連れまわってもらったこともあり、好奇心が旺盛な子どもだったと思います。そのためか、特に根拠があったわけではありませんが、エジソンやファーブルなどが好きで、自分は大きくなったら学者 (理系) になるんだと漠然と考えていました。
1971年のニクソンショック、二度にわたるオイルショックをまのあたりにして高校時代に社会問題に興味を持ったのをきっかけに、「自分は経済学者になるんだ」 ということで、経済学部を選びました。一般に何をやりたいかがわからない高校生の多くが経済学部に進学することが多いので、これはめずらしいケースだと思います。
その当時の関心は国家レベルの問題にありました。いわば財政などのマクロ経済の分野で、どのようにして国民の暮らしを豊かにできるのか、ということを考えていました。その頃京大には財政学の池上惇先生がいらっしゃったので、学部時代には池上先生のゼミで財政学を中心に学んでいました。その後、現在の研究分野であるマーケティングに関心が移りました。そのきっかけは生協運動への参加と深く関係があります。
当時、私は友達に誘われて大学生協学生委員会に入って活動していました。大学入学当時はまだ私の地元の愛知県瀬戸市には、名古屋勤労市民生協が展開されていなかったので、私は協同組合といっても農協くらいしか知りませんでした。それでも大平首相の下で検討されていた消費税導入について、経済学部という理由で私が調べることになったりしまして、徐々に生協学生委員会の活動に深くコミットしていきました。その中で問題意識が少しずつ変わってきました。「国家」 や 「社会」 といったマクロな視点から、より身近で現実に即した人々の 「暮らし」、一人ひとりの 「生活」 に強い関心持つようになったのです。
そのため、大学院では 「暮らし」 や 「生活」 を出発点として研究したいと考えました。では、その研究にはどのようなアプローチがあるのだろうかと考えた時に、まず、企業あるいは生協のような団体から消費者への様々な働きかけが生活に与える影響が大きいと考えました。この活動を学問で捉えると、またこのような社会活動・現象をなんと呼ぶのかと考えると、答えはマーケティングでした。ここでマーケティングという言葉を再発見したわけです。その他にも生活様式論や生活経済論など生活論そのものに行くアプローチや、社会福祉論や社会保障論もありましたが、私の実感として 「暮らし」 や 「生活」 を考えるアプローチは、いわゆるマーケティングそのものであると考え、マーケティングや商業、流通といったテーマを研究分野にすえました。
私が大学院に進学する前年に立命館大学からマーケティング論の近藤文男先生が異動してこられまして、大学院では近藤先生に師事しマーケティングに関する研究に取り組みました。近藤先生の大学院ゼミでは、アメリカでの成立期のマーケティング理論が研究テーマで、第2次世界大戦前のマーケティング理論の古典を講読し検討しました。私は修士論文のテーマを、アメリカの1950年代の 「マーケティング・コンセプト」 の形成に関する研究に設定し、ドラッカーの主張やゼネラル・エレクトリック社のケースについて取り上げました。
生活に関わるマーケティングという視点ですが、現在はどの辺りに関心を持たれているのでしょうか。
私の研究で重視している点は、「暮らし」 という初期の問題意識に関わる 「顧客との接点」 という視点です。「顧客との接点をどう活かすのか」 という点がマーケティングを考える上では外せない課題だと思います。そのための仕組みや組織、またその組織の文化や価値観といった事柄全般に関心を持つようにしています。
具体的にあげると、ひとまず3つほどになります。1つ目は、マーケティングに従事する人々、すなわち従業員の関わり方や彼らの価値観がマーケティングにおいて果たす役割です。つまりマーケティングの戦略ではなく、マーケティングを実行する組織のあり方について考えようというのが1つ目です。
2つ目が、インターネットの登場による顧客との接点の変化です。インターネットの普及によって顧客同士がつながりを持ち始めています。最近はこれをCGM、コンシューマー・ジェネレイテッド・メディアと呼んでいます。代表的なのはブログですね。ブログでは 「この商品が良かった」 「あの店の対応が良かった」 と消費者が勝手に情報を発信しています。従来は、メーカーなど企業側が圧倒的に情報を持っており、それを小出しにすることで消費者をコントロールする情報格差のマーケティングが中心でした。ところが今はインターネットを通じたつながりによって消費者が莫大な情報を持ちはじめています。また、ネット業者も価格ドットコムのような消費者の情報交換を媒介する事業サービスを始めています。このように顧客の購買行動がネットの登場によって大きく変わりはじめており、ネットが顧客との接点を、またそのことを通じてマーケティングをどう変えるのかという点が2つ目になります。
3つ目は、まちづくりのマーケティングです。具体的には京都のマーケティングのあり方についてです。地域産業、地域社会の活性化や地方自治体経営においてマーケティングはどんな役割を果たせるのかという点です。これは場のマーケティングや地域のマーケティング、英語ではプレイス・マーケティングと呼ばれています。この関係で現在、京都市の商業ビジョン推進委員会に委員長として関わっていますし、また京都市伝統産業振興政策に関わる審議会に参加し、マーケティングの観点から調査・提言に取り組んでいます。その他に観光や消費生活などの審議会に参加しています。いずれにしても、今日のマーケティングの特徴として、企業だけではなく非営利組織や行政も社会的な観点・要請からマーケティングを必要としている点があげられます。ソーシャル・マーケティングという、一般企業のマーケティングとは若干異なる視点ですが、それを実際に活かす点についても現在力を入れて取り組んでいます。
インターネットについて注目されているとのことですが、生協のインターネットに関わる取り組みの評価はどのようなものでしょうか。
生協のサイトをいくつか拝見しましたが、現状は色々と問題が多いと思います。特に問題なのは、生協におけるインターネットの役割に対するビジョンが明確でないことです。これは、何を目的にして生協のホームページを作るのかという問題です。モノを売りたいのか、情報を伝えたいのか、伝えたいとしたら何を伝えたいのか、それは生協のブランドづくりに役立つような高品質の情報なのか、あるいは仲間作りに役立つシステムなのか。こういった視点で評価すれば、正直なところ多くの場合中途半端な印象を持たざるを得ません。生協の組合員、利用者でインターネットの生協のサイトを活用あるいは訪問している人は限られています。店舗・無店舗に関わらず、ネットをどのようにして活用するのかという明確な意図・目的が生協のネット戦略にはまず必要です。
そんな中で光っているなと思ったのがパルシステムです。その理由は、従来の生協とは異なる方法論を意識的に取り入れているからです。インターネットという新しいツールに対して生協の組織活動の論理をそのまま当てはめるのではなく、ネットのトレンドと生協の論理の統合を図っているからです。生協の事業の延長線上で、ネットを考えるとスピードや発想が足りないことになります。ネットそのものの人材を迎え入れるとか、ネット専業企業と共同するなどして、ネットの進化そのものに積極的にコミットすることが求められます。
実際、パルシステムは専業化により20代から30代の比較的若い層がネットにおけるトレンドをもとにして事業化に取り組めるようになっています。新たにネットで取り組まれている新しいアイデア、新しいサイトを参考に、生協でもこんなことができないか、生協がやればどういう意味があるだろうかと事業化を検討し、実験的に取り組み成功したものを拡大していくという流れです。これは生協の事業をネットで行うという考え方ではなく、ネットの活用方法の中で生協が事業化していける部分やすべき部分はどこかをつねに模索し続けるという逆転の発想だと思います。
パルシステムはNTTとの合弁会社を作っていますし、技術の専門家とのコラボレーションが新しい発想には必要なのですね。
確かにそうだと思います。ただし、生協は民間企業と違い利益が最重要なのではありません。生協においてもっとも大切にしなければならないのは組合員同士のかかわり合いです。組合員が活躍し満足できるようなネットの活用の方向を探るべきで、民間小売業と同じようなことをしているだけでは生協の意味がありません。いまの若い女性や子育て女性は、ネットを通じて互いに情報を交換してアクティブに頑張っています。ですから、例えばサイトのデザインに子育て世代に協力してもらうことも考えられます。現在、サイト・デザインそのものがブランド化している中で感性豊かな世代の協力を得られれば、それは大きなアドバンテージです。ブロードバンドの普及によってスカイプなどコミュニケーションのあり方も多様化しています。また若い組合員の獲得にも、ネットの活用にはそれなりに意味があると思います。
生協にとってネットの活用は色々と課題も多いけれど、意義ある課題ですね。
その通りです。しかし、生協が 「とにかくネットを充実させればいい」 と全面的にネット事業に乗り出すこと自体には否定的です。例えば、生協がネットで書籍の販売をしたとして、そこではAmazonなどと競争することになります。これから後発でこうしたすでに先発者が大きく成長している分野に参入するのはあまり将来性があるとは言えないでしょうし、生協がやらなければならないという優先順位が高いことでもないように思います。
重要なのは組合員に利益をもたらす生協独自のマーケティングを考え出すこと、つまりマーケティング・イノベーションを起こすことです。そのためには、生協はネット上の中継点になり、その他の事業は他社を活用してもいいと思います。アフィリエイトというシステムがありますが、これを活用して、生協は子育て世代のお勧め絵本の交流を組織して、実際の販売はAmazonに任せるという形も考えられます。生協が軸にすべき点は、長期間かけて築いてきた安全・安心というブランド・イメージ、そして組合員同士の強固なつながりです。それを活かせば、ネット上でも大きく有益なプラットフォームになれると思います。
インターネットと生協について語っていただきましたが、そもそも生協におけるマーケティングとは何でしょうか。
市場志向、顧客志向、消費者志向といった特徴のマーケティングをどうしたら組み立てられるか。また、それが収益性にどの様な影響を与えるか。このようなマーケティングの新しいあり方、つまりマーケティング・イノベーションが学問的な研究の対象です。私にとって、マーケティング・イノベーションを起こす主体の一つが生協であり、そのような見方がマーケティング研究者として、私の生協に対する基本スタンスです。
若干挑発的にはなりますが、そういう意味では今日の生協のマーケティングにはあまり面白みが感じられません。例えば、事業連合によって巨大化し、チェーンストア化することは生協がこの競争環境の中で生き残り、経営を安定させるためには合理的な選択肢だと理解しています。実際これが実現できたら組合員も喜ぶし、従業員もがんばれるというように経営的にはポジティブにとらえています。しかし、やっていること、めざしていることが民間チェーンストアの後追いですから、研究的には当たり前すぎて面白くないんです。いわばイオンやイトーヨーカ堂などの民間小売企業と同じ土俵で勝負しているわけです。
では生協独自の強み、あるいはポイントがどこにあるのか。私はずっと 「一言カード」 「声を聴く」 に注目してきました。今は民間企業も 「一言カード」 に類似した取り組みは行っています。生協が民間企業の真似をしてチェーンストア化したように、逆に民間スーパーが生協の真似をして 「一言カード」 を導入したところもあるのでしょう。これらは経営技術ですから模倣が可能です。とはいえ、組合員あるいは顧客の声を聞いて、そこからビジネスを組み立てるというマーケティングを徹底できる点こそが、生協がイニシアティブを握るマーケティング・イノベーションだろうと思います。
その視点からいえば、組合員が構成員としてコミットする生協には、単なる情報の共有にとどまらない関係構築の可能性があります。私は最近単なる情報ではなく、「情緒に関わる情報」 が大事だと考えています。「情緒にかかわる情報」 というのは、例えば自己が受容される自己肯定感をもたらす情報です。生協が 「一言カード」 に対して真剣に向き合えば、組合員は 「私の意見が大事にされている」 と感じますし、本人以外も組合員同士のかかわり合いを感じられます。この感覚、感情こそが生協が大事にすべき点であり、これを組織内部で全ての発想の根幹にすえることができれば、それは大きなマーケティング・イノベーションにつながると考えます。
生協のマーケティングは民間企業のそれと違い、徹底的に組合員の立場で考えるべきであり、それができる組織だという点にあるということですね。
そうです。ただ、一方で生協独自の課題もあると思います。その一つがガバナンスの問題です。今の生協は巨大化しており実態としては組合員の自治による運営が限界に直面しています。生協の理念に対しては喧嘩を売るような言い方かもしれませんが、経営者によるマネジメントをまずはしっかりと確立することを考えなくてはなりません。とはいえ、先程述べたように生協の強みは組合員の声に即したビジネス展開にあり、上からこうしろといって進めるだけでは、生協の独自性を損ねるだけです。
この課題に答えるためには2つのことが大事です。1つ目は、マーケティングの基本に立ち戻ること。すなわち 「顧客に聞け」 です。例えば、店舗利用者の実態について、あるいは個配の組合員の実態について情報を集めることです。それも通り一遍のアンケートなどではなく、個配ならその組合員のライフスタイルそのもの、それこそ何時に起きて、何時に会社へ行き、何時に帰り、いつ休んでいるのか、毎日どこで何を食べているのか、休日の過ごし方は等々、とにかく徹底的に調べることです。個人情報保護の問題もあり、実際には難しいでしょうが、「わからない」 と悩んでいるよりもはるかに生産的で意味があります。生協は一種の 「会員制 ビジネス」 ですから、戦略そのものがどれだけ組合員に即しているのか、が特に重要になるわけです。
2つ目は、組合員の成長です。組合員同士の交流や学び合い、情報共有等を通じて、組合員が 「よき暮らし手」 「よき市民」 「生協の担い手」 として成長することが期待されます。そこから、生協独自の、組合員の手による商品開発やプロモーションが展開されることが期待できますし、社会を変える動きも生まれるでしょう。そうしたことが組合員=消費者自身の成長、誇り、スキル形成につながります。そしてプロになろうとしている、あるいはプロを育成しようとしているわけではありませんが、これらの取り組みの結果として、経営や生協運動について意識・能力・意欲の高い組合員が生まれることは生協にとって重要な意味を持つと考えます。事業が大規模化・複雑化し、事業連合などが展開されるなかで、今日、生協の最大の課題はそのコーポレート・ガバナンスにあるととらえていますが、本質的には組合員が成長する、成長する組合員によって支えられるというのが生協のガバナンスの発展方向なのだと思います。
プロフィール
若林 靖永 (わかばやし やすなが)
京都大学大学院 経済学研究科教授
主な所属学会:日本商業学会 日本流通学会 日本マーケティング協会 日本広告学会 日本NPO学会 CIEC (コンピュータ利用教育協議会) 他
主な研究テーマ:顧客志向のマーケティング組織 リレーションシップ・マーケティング 非営利協同組織のマーケティング