『協う』2008年4月号 ブックレビュー2
西垣 通 著
「ウェブ社会をどう生きるか」
名和 洋人 京都大学大学院経済学研究科博士課程 『協う』 編集委員
1990年代以降IT(情報技術)の進展が著しい。パソコンの普及に始まりインターネットの利用拡大へ、21世紀に入ると高速大容量の通信回線(ブロードバンド)が全国に張り巡らされ、映像の伝送も容易になってきた。
本書は近年急速に普及してきたウェブ2.0に焦点をあて、その意義と限界について展望する。
従来のウェブ (1.0) は製作者が作った状態で完結し、利用者は単にそれを利用するという関係にあった。ウェブ2.0の登場に伴い、一般ユーザーがブログなどを手段として情報をインターネット上に簡単に発信できるようになり、ソフトウェアやウェブサービスを組み合わせて新たな情報や機能を創出できるようになった。この点で新段階に入ったと著者は見る。ブログやMixiのような会員制ネットコミュニティ (SNS) などはその代表的な例である。なお、著者は情報学とメディア論を専門とする研究者である。
本書ははじめに、ウェブ上で獲得できる雑多な情報などを羅列しても本当に 「わかる」 わけではない点をするどく警告する。実際、受け取った情報のうち一部しか理解できないし場合によっては曲解も起こりうるからだ。こうした雑多な情報は古代文字からデジタル信号まで様々だ。現在、ウェブの発達の中でデジタル情報はまさに洪水のように存在する。
しかし、私たちが生きていくために必要な情報を豊かにするという最終目標を見失ってはいけないと主張する (第1章)。これが著者の基本的なスタンスとなっており、以降繰り返し言及される。
そのうえで、昨今のITに関するトピックを概説する。特にユビキタスネットの実現とこれに伴う産業再編の可能性に言及する。ユビキタスの語意どおり 「いつでも、どこでも、何でも」 つながるネットワーク環境の形成が現在進行中だ。ただし、これは生産者から消費者に向けた 「上から」 のアプローチという既存の経済構造を本質的に転換させるものではないとし、その限界を指摘する。
かくしてウェブ2.0の登場こそ、消費者が情報発信しながら生産活動に主体的に参入していく 「下から」 のアプローチを可能とするもので、本質的転換と捉える。一般ユーザーのブログ検索が容易となり彼ら同士の結合も生じつつある。特定キーワードの検索結果が特定スポンサーサイトの表示に結びつく 「キーワード連動型広告」 もグーグルなどで一般化してきた。
結果として、これまでの大量生産:大量消費の近代産業では重視されてこなかった少量多品種販売も盛んになってきた。いわゆるロングテールビジネスの登場である (第2章)。
他方、一般ユーザーがウェブ上で自分の意見を積極的に発表し、「知」 の集積により形成できるとされる 「集合知」 ばかりを礼賛する風潮に疑問を呈する。同時に学会などに蓄積されてきたアカデミックな知を軽視する近年の事態を憂慮する (第3章)。そのうえでウェブは人間が多様な情報に触れ想像力を活性化できるような 「場=メディア」 を準備するにとどめるべき、と著者は自らの見解を披露する (第4章)。
最後に、ウェブ礼賛論に内在する能力差別の芽を警告する。ウェブ2.0関連企業のビジネス戦略を見定めて適切に対処しないと、格差拡大に直結しかねないと指摘する。
グーグル社などには 「ベスト&ブライテスト」 を尊重し優秀な精鋭のみを囲い込む姿勢さえあるそうだ。いずれにせよ、わが国における無批判なアメリカ追従を憂慮する (第5章)。もっとも著者のこの見解に関しては納得のいく根拠が提示されているようには思えず、にわかに首肯できなかったのだが。
結局、著者は現代社会におけるウェブの意義を高く認識する一方、その活用のあり方に関しては懸念を隠さない。加えて 「真のIT革命がもたらすのは分散化のはず」 という信念のもと、わが国の経済的アンバランス (すなわち東京一極集中) をウェブの適切な活用によって克服したいと考えているようだ。 しかし、この点でウェブ2.0がいかほどのインパクトを与えられるのか本書を読む限り見えてこなかったことは残念であった。もっとも、こうした課題は情報学研究者だけでなく政治や経済を研究する者こそ取り組まねばならない課題だ。情報学の立場から、こうした本質的問題へのアプローチがあったことこそ評価すべきである。
本書には情報学の難解な語句も多く、誰しも簡単に読めるものとは言いがたい。しかし、これまで情報学に触れたことのない人こそ、一般ユーザーとしてウェブに参加することとあわせて挑戦してみてはいかがであろうか。一読を薦めたい。
(なわ ひろひと)