『協う』2008年2月号 視角
医療への患者・住民参加のイノベーション
松田亮三(立命館大学産業社会学部教授・当研究所研究員)
医療が患者中心であるべきであるというのは、 少なくとも30年ぐらい前から言われていることであるし、 多分もっと古くから言われてきたことだろう。 そして、 いくつかの疾患についてそうした試みもなされてきたかもしれない。 しかし、 医療政策の形成や医療サービスの質について患者の声をどうとりいれていくかが、 具体的に検討すべき課題となったのではないか、 日本では21世紀初頭の10年間ということになる。
つまり、 患者の声をとりいれる、 あるいは患者のエンパワメントを実現するということを、 単なる掛け声だけではなく、 具体的な仕組みとしてどう作り上げるかが、 今日問われているといえる。 こうした試みはさまざまに取り組まれており、 メディアで取り上げられたものでも、 例えば、 国の審議会へのおそらくは患者の立場を代弁することを期待された委員の任命、 患者の 「自己決断」 支援に向けた 「医療サポーター養成講座」 (九州大学)、 など数多くある。
筆者もこの間立命館大学人間科学研究所で行ってきた研究プロジェクトで、 いくつかの取り組みについてその経験をうかがってきた (注)。 そこで感じるのは、 患者自身が感じる悩みや困難とそれに直面する医療専門職の課題を共有化していく課題に立ち向かっている人々がいるということである。 そうして、 個別の医療機関の中で、 医療に患者の声を取り入れるためのイノベーションがあちこちで起こってきており、 それを共有化しようとする取り組みがあるということである。 実際、 医療生協がすすめてきた取り組みは、 10年どころか、 もっと長い歴史をもっている。
しかし、 このイノベーションはもっと体系的に行われるべきだし、 また個別の医療機関の取り組みに終わらせずに普及していくための方策が必要であろう。 そうした政策を展開してきた国の1つがイギリスである。 ブレア労働党政権は医療改革の課題の一つとして、 患者の要望に敏感に応答しうる医療を実現すべく、 新しい医療患者・住民参加のあり方を追求してきた。 高度な専門職によってサービスが提供される医療では、 ともすれば専門家の視点が中心となり、 患者・住民の意見はなおざりにされがちである。 さらに、 国営医療制度を基本とするイギリスでは、 伝統的な上意下達的な組織文化や予算の抑制がこれに拍車をかけてきたと思われる。
もともとイギリスでは地域での患者・住民の参加をどのようにするかは、 租税を財源とし行政の一部として運営されるナショナルヘルスサービス (NHS) という医療制度創設以来の問題であったが、 高まる患者の不満や多様な人々の要求を満たすために、 ブレア政権は患者・住民参加を強化することを打ち出した。 その際、 診療の場面だけでなく、 サービス展開の方針づくり、 サービス供給の評価、 教育・研修、 研究など幅広い場面における患者・住民参加が追求されてきている。 しかし、 この参加はそう簡単な課題ではなく、 むしろ挑戦といってもよい事柄であるため、 全国的な研究センターが設置され、 先進事例の共有がなされている。 さらに、 2006年の法改正により、 よりいっそう参加の実現の取り組みを強化する義務が関係機関に課せられた。
こうした体系的な取り組みをすすめることは、 社会保険にもとづく日本の医療制度では難しい面もある。 というのは、 日本の医療ではイギリスとは異なり上意下達式の意思決定方式は作動しないし、 患者・住民参加といっても、 どこにどう参加するのかがまず問題となるからである。 しかしながら、 ともかくもさまざまな場面を想定して、 参加の具体的あり方を検討していくべきであろう。 診療の場面での参加、 各医療機関単位での参加、 医療経営での参加については、 これまでの経験もふまえて何らかの新たな試みをすすめることが可能であろう。 問題は、 都道府県レベルでの参加、 そして政府の政策決定への参加、 研究への参加といったことである。 これらをどうすすめるかは、 かなり挑戦的である。
とはいえ、 少なくとも次のようにいってもよいのではないか。 医療における患者・住民参加が、 どのように成し遂げられるのか、 そのことを具体的に語る時が来ている、 と。
注:プロジェクトについては以下のウエブを参照して下さい。
http://www.human.ritsumei.ac.jp/hsrc/team/team09/