『協う』2008年2月号 特集4


後期高齢者医療制度は、なにをもたらすのか
寺尾正之(全国保険医協会連合会 事務局次長)
 

はじめに
  国民皆保険制度は、憲法25条の理念のもと、 国の責任で、全国民が保険に加入するという原則で成り立っている。 その制度の内容は、必要なサービスがまず患者に具体的に提供されるという 「出来高払いによる現物給付」 と 「フリーアクセス」、「自由開業制」、「営利を目的としない」、能力に応じて保険料を負担する 「応能負担」などの諸原則から成り立っている。
  しかし、国は、1980年代以降 「高齢社会危機論」 を振りまきながら、 高齢者の患者負担を増やし、医療費抑制を進めてきた。また、1983年から医学部定員を削減して 「医師養成の抑制」 を進め、2002年度以降の診療報酬改定では、 技術料となる本体部分が3回連続で引き下げられてきた。こうした国の医療政策が、今日、広く進行する地域医療の崩壊を招いた一因である。
  さらに 「構造改革」 路線の進展に伴い、「命と健康は平等」という医療保障理念が後退させられる一方で、"負担なければ給付なし"という考え方が強められてきた。 2006年6月に健康保険法、 医療法など12本にわたる法律 「改正」 による、 こうした流れは、 保険医療の形がい化と国民負担増を大幅に強める内容であった。その中心的な法律が「高齢者の医療の確保に関する法律」 (以下、 高齢者医療法と記す)である。

後期高齢者医療制度の特徴とねらい
  高齢者医療法では老人保健法の第1条の 「目的」 に明記されていた 「健康の保持」 の文言が削られ、 かわって「医療費の適正化の推進」 の文言が加わり、 医療費を抑制する対策を法律で規定した。
  この法律を根拠とする後期高齢者医療制度は、 国民皆保険の歴史上初めての年齢に基づく独立した医療制度である。 それは、 75歳以上の高齢者を対象としたもので、 制度運営を都道府県単位で行うことで、 都道府県と市町村に対して高齢者医療費の 「適正化」 対策の実施を迫ることをねらいとしている。 そこに、 国と大企業の負担を軽減し、 現役世代と高齢世代間の対立を誘導していく方向性が示されている。 高齢者への適正な医療を確保するというより、 医療費抑制の立場が明瞭である。

都道府県に 「医療費適正化」 の実行を競わせる後期高齢者医療制度
  高齢者医療法は、 各都道府県に 「医療費適正化計画」 を実行することを義務づけた。 2008年4月から5カ年を1期として始まる 「医療費適正化計画」 は、 「全国標準の数値目標」 を達成する対策を都道府県に迫ることとなる。 2013年の第1期計画終了時の医療費見通しも算出して計画に明記することになっている。 医療費を適正化する計画と言いつつ、 最初からその地域における医療費の抑制が目標になっている。
  第1期5カ年計画で医療費抑制の対象にされているのは、 第1に長期入院・長期療養とその延長線上にある終末期医療、 第2に 「生活習慣病」 など慢性疾患に対する慢性期医療の2つである。 そして、 医療費抑制の数値目標の設定及び達成のための対策、 実績の検証を、 マネジメントサイクル手法によって進めていくとしている。 都道府県が先頭に立って医療費の抑制・管理を行い、 その実行を競わせる-ここにねらいがある。
  いまでも崩壊の危機にある地域医療が、 さらに荒廃することになる。

「医療費適正化計画」 の2つの課題とその目的
  第1期 「医療費適正化計画」 は2つの課題を掲げている。 第1の課題は入院日数の短縮であり、 第2は 「生活習慣病」 の患者・予備軍の削減である。 前者は慢性的な症状で長期に患者が入院する療養病床の廃止・削減、 後者は 「生活習慣病」 に特化した 「特定健診・特定保健指導」 の実施によって目標達成をめざすことになる。
  第1の課題は、 将来の高齢者人口の増加を念頭に、 高齢者医療費を確実に抑制すること。 そのために、 高齢者の入院医療に欠かせない療養病床37万床を22万床削減して15万床程度にするということである (その後、 住民と医療従事者の運動、 自治体の取り組みが一定反映され、 20万床程度となる)。 現在入院中の患者だけでなく、 今後長期入院の必要性が出てくる患者については、 一定の期間を過ぎたら極力病院から退院させて、 介護サービスを提供する施設に移るか、 あるいは自宅に帰るか、 そのいずれかを選択させる。 これは、 在宅医療への強引な誘導による入院医療の抑制であり、 医療から遠ざけて、 介護への移行を促していくということである。
  第2の課題については、 「生活習慣病」 が死亡原因の6割、 医療費全体の3分の1を占めるということから、 その患者と患者予備軍を2015年度に2008年度比で25%削減することを目標として計画を立てることが医療保険者に義務づけられた。
  高齢者医療法に基づき、 2008年4月からは40歳以上74歳以下の全ての国民を対象とした新しい健診制度-特定健診・特定保健指導がスタートする。 従来の健診は、 様々な病気の早期発見・早期治療が目的であった。 しかし、 特定健診・特定保健指導は、 メタボリック症候群のふるい分け (=対象者の階層化) のための健診、 特定疾患患者の減少、 医療費の削減が目的とされている。
  医療保険者は、 「生活習慣病」 患者とその予備軍を抽出して、 患者については受診勧奨、 予備群については生活習慣を変えるよう徹底指導することになっている。 これまで市町村の一般衛生部門が担ってきた健康づくりに対する責任のかなりの部分を医療保険者が担い、 保険料で賄うことで、 費用対効果が厳しく要求されるものと見られる。
  「医療費適正化計画」 の第1期が終わる2012年度末の評価で、 その目標が達成できていないときは、 後期高齢者医療制度の財源に拠出する後期高齢者医療支援金を、 2013年度から10%の範囲で増減する仕組みも導入された。
  こうした対策で医療費が 「適正化」 できなかった場合には、 保険料の引き上げか、 その都道府県だけに適用する 「診療報酬の特例」 を導入するか、 どちらかを選ぶ (あるいはその両方) ということになる。 この 「医療費適正化計画」 と両輪で取り組まれるのが都道府県 「医療計画」 で、 これまでの病院病床数の管理抑制から、 医療提供体制の管理を通じた医療費の抑制が目的とされている。
  厚生労働省は、 「地域完結型の医療」 を想定し、 「予防(特定健診・特定保健指導)→外来→急性期入院→回復期入院→ 『長期治療病床』 →在宅医療(自宅・居住系施設)→在宅終末期」 という流れを、 医療連携としてシステム化し、 地域単位で運営責任を持つ医療提供体制をめざしている。 2008年4月から開始される 「医療計画」 では、 脳卒中・糖尿病・がん・急性心筋梗塞の4つの疾患と、 小児医療・周産期医療など5つの事業が、 その対象とされている。
 
今後の課題
  OECD加盟国のGDP(国内総生産)に占める医療費は、 日本は8.0%と先進7カ国で最低、 加盟30カ国中でも22位と低い水準である。 主な先進国では患者負担 (実効負担率) は原則無料だが、 日本は2割近くと突出している。 「低い医療費、 高い患者負担」 というのが日本の医療制度の特徴である。 また、 日本の医師数は人口10万対201人で、 前述のOECD加盟国中27位、 OECD水準には12万人も不足している。 こうした事態を解決するためにも、 対GDP比の医療費を少なくともヨーロッパ並みに10%に引き上げ、 医療費の総枠拡大と患者負担を軽減する中で、 国民の生きる権利を保障し、 安心して医療を受けられる制度を実現することが緊急の課題である。
  また、 「構造改革」 路線による医療費抑制策が、 地方自治体と住民に迫ってくるなかで、 地方自治体の役割、 あり方も今大きく変えられようとしている。 辻哲夫厚生労働省前事務次官は、 「医療については都道府県の行政としての力量が問われている」 と述べ、 国の責務は大きく後退させる一方で、 都道府県の役割と責任を強調している。
  健康づくりや地域医療の確立は、 まちづくりと深くかかわる。 「構造改革」 路線との闘いの主戦場が地域自治体であるといえよう。 住民の健康・医療の充実とまちづくりに向けた広範な人々の共同した運動が、 これまでにない重要性をもっている。