『協う』2008年2月号 私の研究紹介
第7回 青木 郁夫さん 阪南大学教授・当研究所会員
医療協同組合の歴史研究と医療保障の課題
研究分野を選ぶきっかけからお聞かせください。
私は1972年 (昭和47年) に大阪市立大学経済学部に入学し、 日本経済史を学びました。 私の専門である 「医療経済論」 「医療経済学」 はその当時、 経済学分野では新しいものでした。
京都大学の大学院にすすみ財政学の池上惇先生のゼミで 「地域経済論」 を選択しました。 「地域経済論」 の中でも経済学分野で未着手だったのは 「地域教育」 や 「地域医療」 でしたので私は 「地域医療」 を研究対象に選んだわけです。
その選んだ背景には、 森永ヒ素ミルク事件 (1955年) があり、 大学の後輩に軽度の障害をもっていた被害者がいて、 私も年齢的に近かったこともあってひとごとではなかったこと。 二つ目はサリドマイド (1959-62年) の薬害では乳幼児が被害者ということもあって、 子どもの頃に影響を強く受け、 「医薬品産業」 を研究領域にするきっかけになったこと。 三つ目は、 1950年代後半より流行した小児麻痺の問題です。 当時アメリカのソーク・ワクチンを子どもに投与していましたが、 より効果のあるといわれたソ連の生ワクチンは、 国交回復したばかりで輸入が認められていませんでした。
しかし、 導入を求める母親運動の盛り上がりの中で当時の政府に輸入を認めさせることができました。 このことは、 人びとが自らの健康を確保するための社会運動の役割、 そのことは研究をはじめてから気づかされたのですが、 単に制度化された医療制度・医療保障制度を問題にするだけに留まらず、 自分たちの健康を確保するためにどういうことが必要なのか、 そのことが社会にとってどういう意味をもっているのだろうか、 そういうことも視野にいれなくてはいけないということを教えられ、 医療経済をより一層深く研究してみようと考えたわけです。
「医療経済論」 といっても広い範囲ですが、 どこに視点をすえられたのですか。
研究するにあたって3つの柱をたてました。
1つめの柱は、 人々が自らの健康を確保するためにどのようなことをしてきたのか、 ということを歴史的に検討してみたいと考えました。
「健康を確保する」、 「健康でありたい」 ということは全ての人々の望むところであり、 そのことを保障するためには人々が相互に健康を確保しあわなければならないという意味で、 医療というのは社会的協同業務だといえます。 そのことを考える一つの方法として現在のような医療保障制度のもとで医療を確保するということも研究テーマになりますが、 私は現在のような制度ができる以前に、 人々は自ら医療を確保し、 相互に健康をどのように確保するようにしてきたのか。 具体的にいえば、 協同組合によって医療を確保してきた歴史というものを研究してみようと考えました。
2つめの柱は、 医療保障制度の国際比較です。 日本のように社会保険を中心とする医療保障制度もあれば、 アメリカのように市場主義的な医療制度、 もう一方では税金・租税によって運営されている制度もあります。 この税金・租税によって運営されている、 しかも受診時無料サービスを提供しているイギリス・北欧諸国のようなナショナルヘルスサービスはどういう形でつくられてきたのか。 日本もこのような方向を考えないといけないのではないか、 という視点で考えています。
3つめの柱は、 「サリドマイド」 問題とも関わりますが、 人々の健康を取り戻すための手段である医薬品が、 逆に人々の健康を侵してしまう、 いわゆる薬害の原因になる薬品というのは社会の中でどのように扱われるべきものなのか。 資本主義的市場経済のもとでは営利企業である医薬品企業が開発・生産・販売をしているわけですが、 その医薬品を社会がどういう形で、 安全で安心して安定的に確保するためにはどのようにしたらよいのか、 という視点から医薬品企業の産業分析と産業政策を研究しようと考えました。
それでは研究の1つ目柱のである協同組合による医療確保の歴史のことからお話し下さい。
現在の医療保障制度のあり方を考えていくためにも、 その制度が歴史的にどのようにしてつくられてきたのか、 研究していく必要性があると考えました。 特に、 他の先進資本主義国と比べて日本の大きな特徴点の一つは、 医療生協の存在が量的にも、 その行っている運動の内容においても非常に特筆すべき、 あるいは特異な存在だということです。 日本の医療制度の中で医療生協や農協の厚生連というものがなぜ存在し、 存続しているのだろうか。 そのようなことから協同組合による医療事業の歴史的な展開過程を研究の重要なテーマにしたわけです。
戦前の日本においては医療利用組合が1919年 (大正8年) に結成され、 協同組合による医療事業をすすめてきましたが、 それ以前にも地域の共同社会において人々が生活を協同化することで医療を確保してきた歴史があります。
今は歴史的資料も殆ど残っていませんが、 福岡県の宗像郡で行なわれた 「定礼」 に関する資料が残っています。 それによると農村部では農作物を拠出し、 現金化し、 「定礼」 と診療契約を結んでいる医者から医療サービスを受け、 漁村部では、 地引網を引くための労働をそれぞれ拠出し、 漁獲を現金化し、 同様に医療サービスを受けることができました。
「定礼」 は一種の地域保険として存在し、 それを支えたものが地縁的な 「結」 という共同作業・地域協同体的組織であり、 その上に成立っていました。 この 「定礼」 は、 「構成員は能力 (農産物や労働) に応じて負担し、 必要に応じて医療サービスを受ける」 という原則にのっとって運営されていました。 こういう 「定礼」 に似た組織は、 長野県では 「貫貢」 (かんぐ) といい、 また 「高知県高岡郡史」 によれば漁村部に地域の協同体の上に同様な組織があったことが紹介されていることから、 類推ですが全国各地にこのような協同体組織が多数分布していたのではないかと思います。
人々は自分の健康を確保するために自分ひとりの経済力だけでは無理なので、 地域の人々と協同して相互に健康を確保するために医療を確保する協同体組織をつくってきたと思われます。
「定礼」 などの地域協同体組織のその後は・・・
このような組織は1890年代 (明治23年) まで全国に広がっていたと思われますが、 その後の資本主義的貨幣経済が地域に浸透するなかで経済力に応じた階層分化が進行し、 そのことで地域の協同社会が崩れていきます。 このことは、 その上に成立っていた協同体組織を解体させ、 医療を市場に依存させることになります。 それは人々の経済力によって医療サービスを受けられるかどうかが決まり、 経済力による 「健康格差」 を生むことになります。 実際に、 多くの農村部、 漁村部の人たちは医療サービスを殆ど受けられずに、 「死亡診断書」 を受けとるためだけに医師に受診する場合もありました。
そのような中で人々がもう一度自らの力で健康を確保するためには、 何らかの形で生活の協同化をする必要がありました。 このような流れを背景に産業組合法 (1900年・明治33年) のもとで人々が力を合わせて1919年 (大正8年) 医療利用組合をつくり自らの健康を確保するとりくみがはじめられました。
医療組合はその後どうなったのでしょうか。
当時の産業組合は町村を区域とする小規模な協同組合で、 医療事業はその産業組合の利用事業の一つとして位置付けられていました。 そのようなことから、 医者1名、 看護婦1名の医療施設か、 医者との個別契約といった形態でした。 これでは充分な医療を受けることができないことから、 総合病院設立の機運が高まっていきます。 その中で 「医療事業単営の産業組合」 を組織する運動 (1925年) がおこり、 1928(昭和3)年に須崎 (高知県)、 倉吉 (鳥取県)、 青森 (青森県) に総合病院がつくられます。
更に発展するきっかけになったのが賀川豊彦、 新渡部稲造が中心になってつくられた 「東京医療利用組合」 です。 この時期には、 医師会からは産業組合に反対する運動 (= 「反産運動」) が行われたことで人々の注目を浴びるところとなり、 その後全国に広がっていきます。 1937年には医療利用組合だけでも全国の自治体の約1割にあたる3300にのぼりました。
その当時の産業組合をお話いただけませんか。
産業組合は、 信用 (お金の貸し借り) ・販売 (生産物の加工販売) ・購買 (農機具、 肥料の購入) ・利用 (施設・機械、 道具の利用) の各事業をおこなっていました。 この産業組合は、 ICA (国際協同組合同盟) に加盟し、 「出資・運営・利用」 の三位一体の原則のもとに運営していた協同組合組織でした。
当初の産業組合は、 当時の社会構造を反映して、 農村部であれば地主、 自作農中心であったのですが、 1932年の拡充運動から積極的に小作農も加入させるようになり、 第二次拡充運動 (1937年) の時には、 全ての町村で産業組合をつくり、 全ての家が加入する運動をすすめてきました。
戦時下での産業組合はどのような動きをしていくのでしょうか。
医療利用事業単営の産業組合に対して国の側からその運動を抑制する動きがでてきます。
当初管轄の省である内務省でも農林省でも充分に産業組合を管理できないという事情もあって、 もう一度旧来型の産業組合に医療利用組合を取り込んでしまうために連合会組織に再編する動きが1930年代の半ばから強まります。 この時期は1931年の中国東北部での 「満州事変」 以降、 日本が15年戦争 (アジア・太平洋戦争) に突入していった時期でした。 そのような戦時体制のもとで国は 「健兵健民」 政策という保健国策を推進し、 そのひとつの受け皿として医療利用組合を位置付けました。
産業組合が国家的支配の受け皿になっていく契機は、 1929年の世界大恐慌から農民を救済する 「時局匡救」 事業が国策として行われ、 それと同時に 「経済更正運動」 (=自力更生運動) とともに産業組合がその主要な推進役となっていくことになります。 このとりくみ以降、 産業組合は、 先の保健国策、 経済国策と様々な国策の担い手になっていきます。
このように協同組合といえども国家の国民支配の道具として利用され、 戦後解体されていくという歴史的経過をたどっていきます。
協同組合の歴史をふりかえると現在直面している問題と共通する点も見えてくるわけですね。 次に、 医療制度の国際比較の研究からは、 どのようなことが見えてくるのかお話し下さい。
研究者にとってみれば健康や医療を考える時、 今の医療保障制度をどうつくっていくのかという現代的課題が、 究極的なテーマになると思います。 健康権をまもるために現在の医療保障制度のあり方、 現状をどう変えていくのが望ましいのか、 を常に視点にいれて研究でします。
先進資本主義国での医療制度は3つの類型に分けられます。 1つめは公的医療保障が部分的で、 ほとんどを市場にゆだねている=市場主義型の医療制度、 アメリカ。 2つめは医療保険という社会保険を中心に構成されている医療制度、 ドイツ・フランス・日本。 3つめは一般租税 (使途を特定しない) を財源として構成され、 受診時無料サービスを受けられる制度 (=ナショナルヘルスサービス)、 イギリス・北欧諸国・イタリア。
歴史的な医療保障制度の発展は、 部分的な公的な制度からはじまっていって、 その中心的な形は労働保険の形から社会保険の形に変わり、 1980年代のイタリアのように社会保険の形からナショナルヘルスサービスの形に移行した国もあります。
国々の事情によって異なりますが、 歴史的な流れでみれば社会保険の形からナショナルヘルスサービスの方向に変わってきている、 といえます。
イギリスに注目したのは、 イギリスの福祉国家の中核的な制度として1948年にナショナルヘルスサービス (NHS) が創設されたからです。
職業によってはっきりと分けられる階層社会においても、 NHSという国民が平等に医療を受けられる制度があることで医療格差は存在しなくなるだろう、 健康格差は縮まるだろうと考えられたわけです。 しかし現実には、 NHS創設後60年になろうとしていますが、 医療サービス利用においても、 健康水準においても社会階層間で大きな格差が存在しています。
1979年に登場したサッチャー首相は、 新自由主義・市場原理主義 (=自己決定・自己責任) の政策をおしすすめてきましたが、 市場原理主義と対極にあるNHSの原則を彼女は維持しました。 それは、 医療費がGDP (国内総生産) 比で他の先進資本主義国と比べて日本と同様にイギリス (7%) は最も少なく、 国民の健康度も中位にあり、 コスト・パフォーマンスにすぐれていると評価できたからです。 もうひとつは市場に委ねないで国家が管理している制度であることから国家の意思決定にもとづいて改革することができると考えたからです。 そのことでNHSの基本原則は維持されることになりますが、 その中に、 市場主義的要素、 民間企業的経営の手法を取り入れる形で改革がすすめられていきました。
その改革には3つの要素があって、 一つめは医療サービスに直接関係のない施設や駐車場の管理などの非臨床サービス部分の多くの民営化すること。 二つめは、 それまでの病院経営は、 最適な医療サービスを提供できるという考えのもとに医療専門職者 (医師、 薬剤師、 看護師) 合議制ですすめられてきていましたが、 サッチャーは 「医療専門職者は地域医療のあり方を充分に考慮できない」 という理由から新たにジェネラルマネージャー (総括管理者) を導入しました。 ジェネラルマネージャーの大部分は病院以外の民間企業経験者を配置することになっていきます。 このことは病院経営が民間企業的経営手法に転換することを意味します。 三つめは、 民間企業的経営手法によるマネジメントができるようになると、 次は市場と同じような形で医療サービスがつくられ、 購入されるシステムを行政の中にもちこむことになります。 内部市場化といって、 サービスをつくる側と購入する側を分離し契約によってサービスをやりとりすることです。
以上、 サッチャー、 メージャーの保守党政権がおこなった改革でした。
それではブレア政権のもとでナショナルヘルスサービスは変わっていったのでしょうか。
ブレア首相 (1997年) の労働党政権の下で 「行政の内部市場化」 を廃止し、 「競争ではなくて協同」、 「競争ではなくてコラボレーション (連携)」 によって人々にとって望ましいNHSにつくりかえられていきます。 つまり 「人々がより健康で生活できる、 人々の健康度を高める」 という医療制度の目的を実現していくために、 人々の声をいかに生かすかということに切り替え、 新自由主義からの転換をはかっていきます。
医療サービスの利用や健康度における階層間の 「格差」 が厳然としてある中で、 「人々の健康度を高める」 ために、 優先すべきは貧困階層の人たちやその居住地域に対してより多くの資源を配分し、 格差を縮めることも実現すべき政策課題です。 つまり、 国民全体の健康度を高めると同時に、 医療サービスの平等性を確保し、 健康格差を縮小すること、 そのような理念のもとにNHSの改革をブレア政権がすすめてきています。
地域によって健康格差に違いがあるもとでの施策は、 地域の実情にあわせた予算配分を行うこととなり、 そのことは中央の権限を地方に委譲することになっていきます。 この分権化は、 中央政府から地方政府に分権化することもそうですが、 その一方で国民が求めるサービスの総量に対して国が担っていたことを民間に一部を移行するということでもあります。
利用者は、 NHSの財源を使って民間の病院も利用することができます。 それは、 公的な病院と民間との連携も生まれ、 同一の条件のもとでの競争も強めます。 また、 地域の住民や患者がNHSへの参画を強めていくことも重視され、 病院運営のための理事会に住民代表者を公選する仕組みがつくられつつあります。
ナショナルヘルスサービス制度自体の問題点はないのでしょうか。
これまでもふれましたが、 この制度は一般租税を財源にし、 一般会計予算の範囲内で支出をします。 あらかじめ決められた予算の範囲内で医療サービスが賄えればよいのですが、 実際は不足することも考えられるので緊急でない手術 (すぐ死に結びつかない場合) は治療を先に延ばします。 市民が最初に受診するのは登録しているGP (一般医) です。 GPで手におえない場合は病院を紹介し、 診療予約をしますが、 この診療予約をしてから病院にかかるのに時間がかかります。 これらの患者をリストにしたのが 「待機リスト」 といって、 場合によっては一年から一年半も待機しなければならないような事態にもなっています。
ブレア政権は、 これらの膨大な受診待ちの 「待機リスト」 を減らすために5年間で予算を5割増やし、 その後のブラウン政権はGDP比 (国内総生産) 7%台後半から大陸ヨーロッパ並みの9%台後半に、 2010年までに増やしていくことをめざしています。
一方日本はGDP比8%の国民医療費を5%台にまで減らす、 との考えを財政諮問会議が出しており、 今でさえ病院閉鎖、 医者不足など充分な医療が受けられない現状があるのにも関わらず、 これが実行されると日本の医療制度は完全に崩壊するものと思います。
先生の3つめの研究の柱である医薬品企業の産業分析と産業政策の研究からはどのようなことが見えてきますか。
「薬害」 が起こる背景を見る場合、 先進資本主義国に共通した構造というものを考えなければならないと思います。 医療政策の意思決定と政策に伴う資源配分のあり方に絶大な影響力をもち、 あるいは支配しているものとして、いわゆる 「医療産業複合体」 が形成されていると考えています。 医療にかかわる官僚機構とそれに関連する産業が利害を等しくして、 人事交流も含めて密接な関係をとりむすぶことで、 保健医療政策のあり方、 予算などの資源配分のあり方が決められているのです。 財政基盤を握っている官僚システムと医療技術やサービスをつくる基盤を握っている医療産業、 労働力基盤を握っている医療専門職者が三位一体化し、 癒着している可能性があるのではないか?このことが医療政策をゆがめ、 医療保障制度が国民の健康権を保障するものとならず、 「薬害」 がその象徴的なできごととして現れているのではないかと考えています。
残念ながら日本は 「薬害」 を繰り返してきました。 先程の 「サリドマイド」 の事例でいいますと、 医薬品の効果や安全性、 つくられ使われたことによる結果の情報が企業によって独占されて社会に公開されず、 行政担当官も正確な情報を充分把握しなかった結果、 単純な副作用ではなく情報の独占・操作という人為的な行為による健康被害=薬害が発生しました。 最近のC型肝炎問題でも明らかになったように旧厚生省はこの問題についての情報を充分に確保していなかった。 製薬会社のみどり十字の側には多くの情報が集まっていたが国に対して情報を全て明らかにしていたわけではなかった。 つまり情報を自分たちで独占し、 取捨選択して操作したものだけを開示し、 情報を独占していた状況がありました。
一方、 アメリカでは 「サリドマイド被害はなかった」 といわれています。 なぜアメリカはなかったかといいますと、 その当時の医薬品の安全性や効果を規制する担当官が治験段階での重篤な副作用情報にもとづいて厳格にコントロールしたからだといわれています。 そうしたことがアメリカの医薬品の品質を保障するものになっており、 医薬品の競争力を高めている要因だといわれています。
薬効と安全性が確かな医薬品を市場経済のもとで安定的に確保するためには、 どのようなシステムが必要なのか。 そのために医薬品、 医薬品企業をどのように、 民主的に、 社会的にコントロールすることができるのかを追求することがもとめられています。
具体的には薬害防止のためにどのようなことが必要なのでしょうか。
「薬害」 問題でいいますと、 薬品の副作用にかかわる情報は、 医療機関から医薬品企業に集まり、 国家の副作用情報センターに集まってきます。
医療専門職者は、 自分たちの現場で医薬品を用いることで副作用や感染症があるという事実は知っているわけですから、 このルートだけではなくて、 民間の第三者機関・市民社会レベルで収集し、 分析し、 開示するシステムを同時につくっておく必要があります。 つまり公的なレベルと市民社会レベルとが共存し、 それぞれに対して企業がある意味では協力し、 連携しあうことで少なくとも被害を未然に、 あるいは最小限にすることができるであろうと考えられます。 このようなところで医療専門職者の力が発揮できます。
医療専門職者はそれぞれの職能団体をつくっていますが、 その機能を自分たちの専門知識や技能の向上などだけに向けるのではなく、 団体がもつ社会的な役割を果すようにしていくことが必要です。 自分たちの労働や活動とあわせて社会的な問題についての関心を常にもつことが求められています。
最後に日本の医療保障制度を考える上で何が求められているのかをお話下さい。
それは、 いわゆる 「医療産業複合体」 というものの有無にかかわらず、 官僚機構や医療産業を人々の協同の力で社会的にコントロールすることだと思います。 政治的な意思決定システムへの関与、 資源配分への民主的コントロール、 医療専門職者との共同関係を構築することで、 はじめて人々の 「健康権」 を確保していくことができるのです。
「健康権」 を確保するということは、 自らの健康を確保するように、 自発的な行動にまで行き着かないと意味をもちません。 自らの健康を管理する能力、 その能力は個人としての能力、 家族としての能力、 地域社会としての能力、 場合によっては国家の政策としての能力でもあります。 そういった人々の健康管理能力を高めていくことが健康権を確保することになります。 その健康管理能力を 「保健力」 ということばで表現しますと、 保健力を発達させることができる医療保障制度をつくる、 ということになります。
医療を確保するために生活を協同化し、 協同組合をつくり、 健康を実現していくことは、 自らの健康管理能力を高めていくとりくみです。 現在の状況でいいますと、 国家の制度としての、 国民の健康権を確保することを目的とした医療保障制度があるもとで、 人々が自らの健康管理能力を発達させるには、 制度自体を、 どのようにつくり上げていくのかということを考えていかなければならないと思います。
それは国家の医療保障制度だけの問題ではなく市民社会レベルで人々がどのようにとりくんでいくのか、 ということです。 かつていわれたように 「福祉国家とともに福祉社会をどのようにつくるのか」 ということでもあります。 福祉国家が先にあって福祉社会があるのではなくて、 新たな福祉国家制度につくり直すためにも、 分厚い福祉の社会的基盤の上にあって、 はじめて福祉国家制度が意味をもつことになります。
同様に、 医療制度を意味あるものにするためには人々の自らの健康管理能力を高めるとりくみが、 医療生協のような協同組織であれ、 様々な当事者組織であれ、 様々な形で構築をされ、 社会的影響力をもち、 相互に連携できるような状況をつくっていかなければならないであろうと考えています。
つまり、 国家の権力的な支配や行政サービスの提供を市民社会レベルから民主的にコントロールするためにも様々な協同組織を分厚くつくり、 相互の連携をとり結んでいくということです。 そのことが、 豊かな社会関係資本 (ソーシャルキャピタル) をつくることにもなり、 人々の保健力を発達させるための社会的基盤をかたちづくることになると考えるからです。
プロフィール
青木 郁夫 (あおき いくお)
阪南大学教授・大学院研究科長。
主な所属学会:日本医療経済学会、 日本経済政策学会、 日本財政学会、 日本社会政策学会。
研究テーマ:健康と医療の社会経済学的研究。