『協う』2007年8月号 特集
第15回総会記念シンポジウムを振り返って
的場信樹/浜岡政好/二場邦彦
今回のシンポジウムのねらいは?
【的場】今回のシンポジウムは 「くらしから生協を見よう」 ということで、 「地域社会と協同力」 をテーマに開催しました。 地域やくらしから生協を見る場合も、 直接見るのではなく、 コミュニティや協同の関係がどうなっているのかということを通じて、 それに対して生協や組合員がどんな関わりを持っているのか、 持っていないのか、 というところを見てみたいということでした。
調査を踏まえて明らかにしたかったのは次の3点です。
ひとつは、 コミュニティや協同、 助け合いや相互扶助を見る場合、 小さな協同の経験はけっこう議論になりますが、 大きな協同や助け合いはあまり議論にならない。 つまり、 実際の地域社会は複数のコミュニティが集まって出来ていると思いますが、 大きな協同はなかなか見えてこない。 第1分科会で報告していただいた大宮町の例 (まさに大宮町という大きな地域のなかで、 そのなかにある小さな協同) を見て、 できればその関連を通じて、 最終的には大宮町の政策的な課題まで明らかにできればいいなあと考えたわけです。 政策的課題までは至りませんでしたが、 いくつかの協同があることや、 それらの協同の違いと関連を明らかにすることに一歩近づいたのではないかと思います。 「小さな協同から大きな協同へ」 ということを、 当日は 「全体性」 という言葉で説明しましたが、 言いたかったのはそういうことです。
2つめは、 協同・助け合い・相互扶助というのは、 組織間の提携・協力関係の問題もあるかもしれませんが、 やはり人と人との関係です。 そう考えると、 協同という課題を担う組織のあり方が問題になるのではないかということで、 その例となるのが2つめの報告のテーマとなった 「おたがいさま」 です。 「おたがいさま」 は、 地域で協同を実現する時にいかに開かれた組織が必要なのかということを明らかにしていると思いましたので、 開かれた協同のあり方、 そのための条件は何か、 なぜ 「おたがいさま」 はうまくいっているのか、 ということを考えてみたかったのです。
3つめは、 今回のシンポジウム全体を通じて 「日本海シリーズだ」 と言われたりしましたが、 「首都圏や太平洋側など人口の集中した地域には当てはまらないのではないか」 「やっぱり最先端は首都圏で、 その後を地方がついて行っているだけだから、 いずれは首都圏みたいになる」 というような話があるので、 本当にそうなのかということを今回の調査を通じて問いかけたかったわけです。 一方では、 合併して、 資源を集中して、 商品政策・組合員政策などで効率性・集中性を非常に重視しているように見える生協がある一方で、 福井県民生協は、 地域での総合性を生協のあり方として強く意識して打ち出している例だと思います。 それが事業的にも成功しているし、 自治体も含めて地域社会でも高い評価を受けているので、 それをどう見ればいいのかということです。
だいたい以上の3点で組み立てて、 当日を迎えたわけですが、 うまくいったかどうかをお話ししていただければと思います。
「ひとりで生きる」 というくらし方を生協はどうやって生協はどうやって支えるのか
【浜岡】的場さんから、 シンポジウムのサブテーマ 「なぜ、 いま家族やコミュニティからくらしを考えるのか」 という問題意識を出していただきましたが、 あらためて 「今年はこういう年だったんだな」 と感じたことがありました。
そのひとつは、 単身世帯の比率が初めて夫婦と子ども世帯の数を上回ったという画期的な年だったということです。 つまり、 少子高齢化と言われていますが、 独り暮らしという世帯・くらし方がいちばん大きなくらし方になったわけで、 そういう象徴的な年に、 「家族とコミュニティのいまからくらしを考える」 というテーマを掲げたという意味で、 今回の隠しテーマだと思ったのは 「個人・ひとり・単身者をどう支え、 あるいは、 どうつないでいくのか」 ということでした。
われわれはそこを強く意識して問題をとらえたわけではありませんが、 4つめの分科会のララパーティも含めて、 「個人をうまく引き出してきて、 つなぐ」、 または 「個人が抱えている困難に寄り添って、 対応する」 ということは、 これまでのシステムや仕組みでは十分にできなかったわけです。
今回講演していただいた鳥越さんが最初に、 「いままでの 『生き延びるための組織』 から 『ハッピーになるための組織』 へ」 という言い方をされましたが、 そういう側面と同時に、 これまでは 「家族」 というある程度協同的なものがあって、 それに支えられたくらし方だったけれども、 これからはそうではなくて、 「個人」 が主な単位になってくる。 それを支えたり、 つないだりするためには、 これまでの仕組みでは十分な役割を果たし得ない。 そういうことが大きな課題になっている今日の状況のなかで、 このシンポジウムが行われたことは、 きわめてシンボリックな意味があると、 感じたわけです。
その意味では、 「おたがいさま」 もそうですが、 福井県民生協の場合は、 個々の家族や個人のデータを縦横で通しながら、 くらしに生協がどのように対応できるのかということを意識的に進めている事例ではないかと思います。
もうひとつは、 今回取り上げたことは、 従来の生協らしさを超えたものを秘めているのかなという気がします。 大宮町の場合は、 生協がほとんど見えなかったと思うのですが、 福井県民生協の場合、 特に総合性の活かし方という点では、 生協が丸ごと抱え込んだ総合的な対応ではなく、 生協と周辺のNPOや市民活動や福祉団体が連携しながら、 地域の人びとのくらしを支える仕組みをつくろうとしているし、 組合員一人ひとりが持っている地域社会のネットワークをうまく活かしながら、 生協の活動を展開させようとしています。
その意味では、 これまでの生協のあり方とは違う活動や事業のつくり方を模索していることが、 今回のシンポジウム全体を通じて見えてきたと思いますし、 「ひとりで生きる」 というくらし方を生協がどうやって支え得るかという、 かなり実験的な模索が進んでいることがあらためて見えてきたのではないかという感想を持ちました。
“新しい生きにくさ”に応えられる活動とは
【二場】的場さんの問題意識にぴったり応えられるほどには調査も議論も深まっていないと思いますが、 その入り口になるような議論はいろいろあったかと思います。
まず 「おたがいさま」 の分科会では、 3つの問題意識から取り上げて、 徹底分析しようということになりました。
一つは、 生協の典型的な 「くらしの助け合いの会」 のように、 ニーズを限定するのではなく、 どんなニーズでも、 そのニーズが生まれてきた背景にある 「くらし」 の内容をしっかりと聴いて、 その上で 「応えるべきニーズだ」 と判断したら可能な限り応えていきたい、 という基本的姿勢を持っているということです。 そのことが 「新しい生き
にくさ」 とも言われる現代の生活ニーズに応える活動のあり方を示しているのではないかという気がします。
二つめは、 会員制という形を採らず、 活動したい人が自主的に集まって、 自分たちの判断で自律的にやっているという意味で、 きわめて自立性の高い、 自主的な活動です。 そういう活動が組合員の元気さを生み出しているし、 その元気さが生協しまねの組織活動全体にいい影響を与えつつあるのではないかという視点です。
三つめは、 生協内部に閉じられた活動ではなく、 最初から地域の福祉関係の組織に積極的に自分たちの存在をPRし、 必要な人がいれば依頼してくれるように呼びかけ、 非組合員から要望があった場合には組合員になってもらいながら積極的に応えています。 その意味では、 絶えず組合員拡大と結びつくような形で活動が行われているわけで、 開かれた組織のあり方のひとつを示しているのではないか。 出雲の地域で福祉活動をしている小さなコミュニティはたくさんあって、 小さなコミュニティをつなぐような形で 「おたがいさま」 の活動が行われている。 その意味で、 地域の大協同のベースになるような関係をつくってきている。
分科会のなかで明らかになった点の一つは、 地域の生協組合員数に対して応援者が非常に多く、 組合員1万人に対して250人の応援者がいます。 10万人の生協なら2500人の応援者がいることになって、 きわめて比率が高い。 それはどうしてなのかという指摘に対して、 「応援者が喜びを感じて、 その喜びをいろんな場で伝え合う。 その伝え合うという行為を通して、 応援者が広がっている」 ということでした。
応援者が喜びを感じる背景として、 「こうしてほしい」 という要望が出てきた時に、 その要求がどういうくらしの中から出てきたのかということをじっくり聴いて、 それを応援者に伝えているし、 応援者同士が集まって経験交流する場を持って、 そうした交流を通じて自分たちの経験が喜びにまで高まり、 それをお互いに伝え合っているということがあるのではないか。
二つめに明らかになったのは、 コーディネートの仕方です。 コーディネーターは、 出雲という生協の支所単位で5人いて、 その人たちが交代で、 生協の支所内にデスクと電話を置いて対応している。 一方、 普通の 「くらしの助け合いの会」 の場合は、 生協全体として中央に数名のコーディネーターがいて、 その人が受けたニーズを組合員に伝えていくので、 その間に立った世話役の人は、 かなり負担感があるようです。 そういう違いを考えると、 支所という小さい単位で態勢をつくれば、 そういう活動もできるということが明らかになったように思います。
分科会のなかで次のような論点が確認されました。 第1の論点は、 出雲のタイプの 「おたがいさま」 の活動と生協として持つ責任です。 事故が起こった場合、 生協がどういう責任を持つのだろうかという点で、 理事会がもっと関わるべきであるという趣旨の発言がいくつかありました。
第2の論点は、 非常にいい活動で、 そういうふうにやりたいと思うけれども、 経済性を踏まえた態勢が本当にとれるのかという疑問です。 これについては、 「おたがいさま」 の代表で、 報告してくださった木佐さんも、 組合員の事務局態勢をもっと強化する必要があること、 コーディネーターへの支払いの問題をおっしゃっていました。 コーディネーターへの支払いは、 いまは全体のバランスをとるために収入が少ない時には減らすような形の謝礼になっていますが、 ある程度きちんとした謝礼を払わないとコーディネーターの対応が持続しない。 しかし、 本当にそういう態勢がとれるのかどうか。 これが2つめの論点として出てきました。
三つめの論点は、 出雲市の助け合いの活動は、 「くらしの助け合いに関わるあり方検討会報告」 の中では、 「この生活サポート活動は組合員活動である」 と表現されていますが、 この報告書をつくった委員の方が分科会に参加されていて、 「報告書では 『組合員活動』 という言葉を使ったけれども、 私は 『生協運動』 だと思う」 という発言をされたんです。 また、 他の出席者からも 「運動と見たほうがいいのではないか」 という発言がありました。 では、 「組合員活動」 と 「運動」 を定義したら、 どこがどう違うのか。 助け合いの活動への生協の責任は、 「組合員活動」 と 「運動」 で同じなのか違うのか、 整理する必要があるのではないかと思いました。
組合員のニーズに事業としてどう応えられるのか…
【的場】第3分科会では 「福井県民生協は、 規模も比較的小さいし、 特殊な事例ではないか」 という思いとともに、 「いや、 そうではない。 もっと普遍的なことがあるのではないか」 という期待もあって、 半信義半疑で参加された方が多かったような気がします。
発言の中でも、 当初は 「首都圏には当てはまりにくいのではないか」 と指摘された方もおられましたが、 具体的な話を聴けば聴くほど、 特殊性というよりも、 生協の組織をつくっていく上で当然必要な視点や努力を積み重ねてきたことがわかったような気がします。
ですから、 地域との関連については、 まだ十分に消化しきれなかったという問題は残りますが、 総合的な事業を展開していく可能性が、 福井県民生協の事例を通して浮かび上がってきたことが成果かなと思います。
その象徴的な言葉が 「縦串と横串」 です。 事業には集中性が必要ですので、 当然、 縦串 (縦のライン) のコントロールが出てきますが、 「それだけでは事業はうまくいかない。 職員の組織のあり方としても、 それではうまくいかない。 だから、 横串を通すんだ」 という話をされました。 職員組織のあり方を考えていけば、 「地域の問題を職員がきちんと把握できているか。 組合員のニーズを職員がちゃんと理解できているか」 という方向に話が進んだということが、 事例の紹介のなかから明らかになってきたように思います。
【二場】半信半疑というのは第2分科会も共通していて、 「 『おたがいさま』 の活動はとてもいいと思う。 生協らしいやり方だと思う。 しかし、 あれを自分の組織に持ってきてやれるかというと、 責任や態勢の問題など、 解決しなければならないことが出てくる」 ということでしたね。
ニーズに対して 「開かれた組織」 とは…
【的場】二場先生の 「おたがいさま」 分科会の報告を伺っていて、 ああそうだなと思ったことがあります。 私は 「開かれた組織」 が協同や生協にとって重要ではないかと考えています。 「開かれた組織」 の必要性が一般に認められていますが、 自分たちはやっていると思っていることと実際にやっていることとのギャップが大きいと思うんです。
おたがいさまの 「ニーズを限定せずに、 話をじっくり聴く」 というスタンスだと言われましたが、 それが他の組織でもできているかといえば、 できている組織もあるけれども、 できていない組織が多いのではないかと思います。 他者性の問題は一筋縄ではいかない。 本当に難しいと思います。
【二場】一般に組織というのは、 ニーズに対して柔軟に対応するかどうかで、 組織の形も事業の内容も当然変わってきます。 ところが、 生協の場合は、 組合員であるか否かで切ってしまったり、 生協の事業自体があまり楽な状況ではないので、 効率を高めるために標準化しなければならないということで、 事業のやり方をかっちりと決めていきます。
一般的な組織は、 かっちりと決めて標準を十分に守れるようになると、 逆に柔軟性を持ち始めるものですが、 生協の場合、 まだ標準化が十分にできていないので、 標準化することに非常にこだわっていて、 その両面で活動が非常に硬直化しているように思います。
その点、 生協しまねの場合は、 生協の本部自体が大枠だけを理事会で承認して、 具体的な展開は自分たちのところでやっています。 そして、 地元で助け合いの要望があった時に、 通常は、 「私の価値観からすると、 こういう要望は助け合いの対象にすべきではない」 というふうになりがちですが、 じっくり話を聴くなかで、 人間として当然やるべきことだという理解に到達するというプロセスが何度もあるんですね。 そういうことを通して柔軟な活動ができているのではないかと思います。
【浜岡】これは第4分科会の 「おしゃべりパーティ」 でも同じですが、 つまり、 開くことの意味というか、 協同をもう少し地域のなかで開いていくということだと思います。 「おしゃべりパーティ」 の特徴も、 組合員のなかで固まるのではなく地域に開いている点にあるのですが、 この 「開いたこと」 の意味をどう受けとめるか。 「おしゃべりパーティ」 も 「おたがいさま」 も、 開くことによって、 逆に中がとても自覚的になる、 つまり、 協同そのものが強まる。 そういうことをもう少しきちんと見るべきではないか。
毛利さんがコメントのなかで、 「他者を自分たちの集まりのなかに招き入れることによって、 他者をすごく意識する。 逆にいえば、 自分たちが何者であるかを自覚するすごく大きなチャンスになる。 つまり、 自分が生協で活動したり生活の大きな支えにしていることを、 他者に語る場面になっている」 とおっしゃっていました。 その意味では、 開くことが他者に対して自分を自覚する大きなチャンスなわけで、 その辺が 「おしゃべりパーティ」 を 「生協らしくない」 ものにしている。 つまり、 生協の縛りをかけて組合員拡大の機会などにするのではなく、 「提供はするけれども、 自由に集まってください。 自由に語ってください」 ということ自身が、 結果として生協そのものを強く意識させる。 ここをきちんと見るべきで、 「おたがいさま」 や 「おしゃべりパーティー」 に共通して、 そういう性質があるのかなということを感じましたね。
「個人」 を単位にする社会の中で求められることとは…
【浜岡】 「おたがいさま」 や 「おしゃべりパーティ」 がつくり出しつつあることはいったい何なのか。 「個々の持っているニーズを、 代わってサポートする」 ということではなく、 「新しい生きにくさ」 とは何かをもう少し深める必要があると思います。 評価のポイントのひとつは 「つながり方を自分でつくっていく」 ということではないか。 つまり、 「ここに入れば安心よ」 というのではなくて、 「ひとり」 や 「個人」 を単位にする社会に変化するなかで、 連帯や連携をつくっていく力が一人ひとりに求められる時代に入ってきていると思います。
逆にいえば、 まだそういうことにはなじめないで、 人との関係のつくり方をめぐって難しい問題が多発してきています。 それを、 そばで寄り添いながら、 代わって充足したり対応するのではなく、 一人ひとりがそういうものをつくっていく力をつけるように応援する。 「おたがいさま」 も 「おしゃべりパーティ」 も、 それ自身が何かを解決するのではなく、 人がつながっていく力、 人との関係をつくっていく力を応援したり、 エンパワーメントする活動につながっていくのではないか。 そのことによって、 ある意味では、 問題を解決する担い手そのものをつくる活動になっているのではないかという気がします。
【二場】 「おたがいさま」 の場合も、 助けられる人が応援者になったりしていますね。
地域の活性したところに女性あり…
【的場】 「大宮町常吉百貨店」 では生協の姿が見えてこないという話がありましたが、 調査の過程で、 生協を通じて女性の意見をヒアリングして集めています。 男性社会では見えなかった大宮町の現状や抱えている問題が明らかになったのではないかと思います。
上掛さんもシンポジウムのなかでおっしゃったように思いますが、 まちづくりに女性がもっと参加することによって、 まちづくりの質や広がりをもっと発展させていけるのではないか。
その意味では、 今回、 私たちが取り上げた 「地域」 には圧倒的に女性が多い。 これは現実の地域のありようからすると、 「生協だから仕方なく、 地域の一部の実態しか見えなかった」 ということなのか、 それとも地域そのものが女性が主役になっているのでしょうか。
【浜岡】実際のさまざまな地域活動の担い手として、 女性が大きな役割を果たしていることは事実ですし、 地道な仕事の圧倒的多数は女性が果たしていると思いますが、 意思決定の場も含めて地域社会のなかで、 男性と同等もしくはそれ以上の場が与えられたり、 力が発揮できているかというと、 そうはなりにくい状況があるのだろうと思います。 特に農山村の場合、 農業などの生業自身がある種の所有性を帯びていて、 土地所有などと関わって営農などがやられることが多いので、 女性が代表して意思決定の場に出てくる場面は圧倒的に少ない。 それは各地域の男女共同参画などの集まりでは、 絶えず問題になることですね。
女性がいきいきと活動できるような状況をつくり出している地域のほうが、 まちづくりや地域づくりは元気がいいし、 取り組みも成功することが多いのではないでしょうか。
【二場】商店街でも、 「おかみさん会」 がいきいき活動しているところのほうが元気がありますね。
「大宮町」 の事例では常吉百貨店という活動形態を採っていますが、 問題意識の根底にあるのは、 地域の主要産業である農業の活性化だということです。 やはり地域の問題を考える場合は、 地域の基盤になる産業活動をどう強めるかという課題があるわけで、 そのことに生協がどう関わるかということが重要になると思います。 生協の購買事業にしても、 たしかに地元の農産物を仕入れていますが、 そのことが農業を強めることに結びついた仕組みになっているのかどうか。 もう一度見直してみることが必要になってきていると思います。
多様なニーズに柔軟に対応するには…
【的場】先ほど二場先生が提起された問題で、 2つめに経済性を挙げられましたが、 これは非常に重要な点だと思います。 組合員の事務局やコーディネーターの位置づけをどうするか。 あまり事務局メンバーを置かずに、 組合員の自治とボランティアを中心にしてやっていくことの積極的な面も、 今回のシンポジウムを通じていろいろ出されていたと思いますが。
【二場】少なくともモデルのようなものを示す必要があるのだろうと思います。
特に都市部では 「くらしの助け合いの会」 が大変なので、 その実感からすると、 なかなかついていけないという思いが先に立つのだろうと思います。
【浜岡】生協の助け合いの活動も、 ある程度の標準型が出来上がってきて、 ニーズをかなり限定的に取り扱い、 それに対して定型的なサポートの仕組みをつくりあげてきている。 そこから 「おたがいさま」 を見ると、 とても手間ひまがかかるというか、 「現在でもお手上げなのに、 これ以上いろいろ舞い込んでくると、 とても対応できない」 という受けとめ方になるのかなと思います。
でも、 本当は逆だと思うんです。 これだけサポーターが多いというのは、 地域組合員以外の人たちのくらしをずっと見ていて共感する、 そのことの反映なんです。 要するに、 「こういうニーズを持っている人は寄っといで。 そうすれば定型的な対応をしますよ」 という場合は、 決まった労働ですから、 「私がやらなくても誰かがやる」 ということになる。 初期のシステム化ができていない時は、 その仕事も喜びだったと思いますが、 「こういう形の仕事ですよ」 と出来上がってしまえば、 あとは人手の問題だけになってくる。 そうするとなかなか喜びを感じにくくなってしまいます。
それに対して 「おたがいさま」 は、 かなり素朴に見えるけれども、 応援する人の共感を引き出す仕組みというか、 「私だってそんな状況になったら大変だよね。 なんとか応援してあげなきゃ」 というような共感を引き出す仕組みになっているわけです。 こうした非定型的なものを取り込むことによって、 やる側の意欲や気持ちを引き上げることになっているのだと思います。
ですから、 標準化は、 効率的ではあるし、 いいのですが、 逆にそのことが担い手のモチベーションを活性化する方向につながりにくくするという面もあるのだと思います。
【二場】生協として今後、 福祉事業を 「第3の柱」 として展開していくという話になっていますが、 福祉事業の内容を標準化すればするほど、 コモディティ商品化してしまって、 結局は価格競争になっていきます。 そうではなくて、 生協としての独自性を持った福祉活動を考えようとすると、 多様性のような、 標準化できないものに対応していくことがどうしても必要になりますね。
【浜岡】そうです。 介護保険が始まって、 いままでの福祉活動が保険というシステムの上に乗っかるようになり、 多様なくらしの場での介護の必要性が、 介護保険という枠にはまるかどうかで選別され、 乗ってきたものに対しては定型的に対応するというシステムが大規模につくられました。 そうして出てきたのが3K職場です。 つまり、 分断され個別化された介護の断片みたいなものが大量に押し寄せてきて、 それに量的にどう対応するかに追われてしまって、 本当のところで人を支えるとか、 支えてはいても、 それを実感できないシステムが出来上がってしまったわけです。
担い手はすごい疲労感を抱えていて、 「人と関わって自分が生かされる」 という気持ちがつくりにくい状況に追い込まれています。 その意味で、 「おたがいさま」 のやり方は、 介護保険などがつくり出してきた 「苦役としての福祉労働」 を超える部分を含んでいるので、 そういう側面からも評価したほうがいいと思います。
くらしをじっと見て、 琴線に響くところをちゃんと大切にしているのはすごいなと思います。 今の福祉の分野は、 実はそこが解けていないのです。 その意味でも、 「おたがいさま」 の活動や取り組みの中身はちゃんと見ておく必要がありますね。
【的場】なるほど、 そういう視点で見たのは初めてでした。
【浜岡】いま福祉・介護業界は、 人が集まらなくて、 非常に悲惨な状況になっていますからね。
今後の課題は? ~家族により焦点をあてて~
【的場】最後に研究所としての課題ですが、 今年は4つのケースを取り上げて、 それぞれの特徴を私たちなりにまとめました。 しかし、 各事例の特徴は、 実はそこだけではないはずで、 それこそ偏在しているのだろうと思います。 ただ、 それをきちんと評価できていないと思うので、 できれば、 どこにでもあるはずの事例を掘り起こしていくことがとても重要だと思いました。
もうひとつは、 先ほど浜岡先生が象徴的だとおっしゃった、 単身者の生活が中心になりつつある社会の問題ですが、 そこで起きている問題をきちんと把握するためには、 コミュニティだけではだめだと思います。 今回はできなかった、 「家族」 がいまどうなっているのかということについてのきちんとした調査研究サーベイが必要で、 次の課題という点では、 やはり 「家族」 に焦点を当てることかなという気がします。
個人と組織をつなぐ…
【浜岡】それは第4分科会のなかで、 かなり議論になったんです。 「おしゃべりパーティ」 の家族開催をどう見るかという話です。 そこから何が見えてくるかというと、 家族が集まりにくくなっている。 家族のなかでもおしゃべりしにくい状況になっている。 そうなった時に、 「それはちょっとズルじゃないの」 という受けとめ方をするのと、 「いまの家族が抱えている難しい問題を、 応援しますよ。 つなぐために集まって、 生協の商品が真ん中にあって、 家族がおしゃべりするのもいいじゃないですか」 という受けとめ方があるわけです。
いままでは家族の団欒は当然のことだったから、 「団欒を応援します」 なんて言ってきたけれども、 実際はそうではなくて、 家族の中もばらけていて、 個人化という状況が出てきている。 独り暮らし家庭が増えていることだけでなく、 「標準型」 とか 「三世代型」 といった多様な家族形態のそれぞれが集まりにくく、 支え合いにくい状況が出てきている。 それが、 「おしゃべりパーティ」 のようなところで、 家族開催問題として表面化してきたわけです。
「おしゃべりパーティ」 は、 たまたま長崎で始まったけれども、 これが都市部に広がったりする時には、 家族の多様性が、 もっと出てくるだろうと思います。
コメントいただいた中川順子さんの話は、 「生協の組織は、 世帯あるいは標準家族像をモデルにした生協組織論になっていないですか」 ということです。 これを 「個人」 にすると、 ひとつの世帯に複数の組合員がいるのが普通で、 そうなればお年寄りや女性や子どもも組合員として、 多様な形で一緒に集っておしゃべりをすることに何の不思議もない。
「おしゃべりパーテイー」 の経験は、 今後の協同組合の組織のあり方も視野に入れて議論できる可能性を含んでいますね。
多面的で常に変化するくらしに対応した活動と 事業をつなぐ…
【二場】 「おたがいさま」 のような活動を進めるうえで、 支所という単位の話がけっこう出てきましたが、 そのこととも関連して、 アンケートのなかで 「地域協同組合の問題をもう一度考えたらどうか」 という意見がありました。 かなりの生協においては、 大きなエリアのなかに小さな単位がありますが、 もっと狭い地域での活動を考えたらどうか、 ということを書いておられたわけです。
それから、 生協が事業としてやる時には、 標準化して、 ルールを決めて、 ある程度画一的にやらなければなりませんが、 他方、 組合員のくらしは多面的で、 常に変化していくので、 それを事業に結びつけようとすると、 組合員活動のところで多様かつ柔軟に対応して、 その経験を整理するなかで、 事業化するものは事業化していくという、 そういう運動と事業のつながりを早くつくることが大事になってくると思います。
【的場】いまは地域の人や組合員や家族のくらしを、 じっくりと共感しながら交流し合える場所がなくなってきているので、 そういう場所を確保することも研究所の重要な役割だ思います。