『協う』2007年8月号 私の研究紹介
地域に根ざし、地域を活かす実学を求めて
福田善乙 高知短期大学名誉教授
先生はどんなきっかけで経済学を学ばれたのでしょうか。
僕は昭和16年高知市の生まれですが、 両親が2人とも戦時下に亡くなったので、 戦後はきょうだいだけの苦しい生活で、 年長の兄は思い詰めて、 一家心中しようかと鉄道の前に6人きょうだいが何時間も立って過ごしたこともありました。 無邪気に遊ぶ末っ子の僕の姿を見て、 思いとどまったと聞いています。 ですから、 子どもながらに自分の食い扶持は稼ごうと鉄クズ拾いなどをし、 小学校に入ってからは新聞配達をしました。 戦争がなぜ起こったのか、 なぜ両親が死んでしまったのかということを、 ずっと問題意識としては持っていました。
大学は横浜市立大学商学部に入って、 沖仲仕とか、 パンを焼いたりウェイターの仕事をし、 大学時代も働いて学ぶという生活をやっていました。 大学では、 一杉哲也先生のもとで、 新古典派の経済学の勉強をしていました。 その時は 「人間は労働すれば豊かになる」 ということが大きなテーマで、 僕も働いて苦労してやっていけば豊かになるんじゃないかといういことで勉強していました。 しかし実際には、 一生懸命労働をしても、 なかなか楽にならない、 なぜなのだろうということが疑問になっていて、 友だちと資本論研究会をつくってマルクスの 『資本論』 を読むことをやっていました。
大学院は、 大阪市立大学の山崎隆三先生のゼミへ行きましたが、 経済的にどうするかで困りました。 大学院になると勉強時間をより多くとらないといけない。 大学の学生課や先輩たちが話を聞いてアルバイトを見つけてくれて、 それで行けるようになりました。 僕はどういう時にも周りの人に助けられてきたと思います。
山崎隆三先生は40代中頃の新進気鋭で、 日本資本主義論争を展開されていました。 大学院での中心の研究課題は、 戦争を起こすもとに天皇制、 寄生地主、 財閥がある、 その財閥がどういう役割を果たしたかを明らかにしよう、 と。 財閥を支えた基幹産業としての電力産業と鉄鋼産業の分析を中心にしていました。
大学院で勉強するにも生活が苦しいことや、 偶然教員募集があり、 高知短大に就職をしたわけです。
高知に帰ったことが地域経済研究へのこだわりにつながったのでしょうか?
当時の社会的背景から言うと、 1960年代の国民所得倍増計画による高度経済成長期、 重化学工業を中心にして経済発展を図るため、 太平洋ベルト地帯に産業を配置していく。 大量の労働力が必要とされ、 農山漁村地域から大都市に民族移動が起こったというのが1960年代の第一次過疎時代の始まりです。 そういう68年に赴任してきたわけです。 今も高知からは若者がどんどん出ていきますが、 僕らの時代もそうだった。 「日本全体の経済も問題だが、 地域の経済が崩壊してしまうとどうなるか」 という問題が提起されてきたわけです。 短大には、 農業経済論をやっていた森井淳吉先生がおられたので、 森井先生と一緒に農山村を歩きました。 農山村地域からも何とか過疎問題を解決していく方向を考えないといけないという動きが出てきていました。
当時、 それを真正面から受け止めてやっていく研究者は少なかった。 僕は高知出身だし、 高知の問題を真正面から据えて取り組んでいく必要があるのではないかということで、 地域の経済問題をやろう。 特に農林漁業が衰退する過疎地域では人口がどんどん減っていく。 誰かが研究課題にしていく必要があると考えました。
もう一つの課題に公害問題があります。 高知でも、 製紙会社からの排水で江ノ口川が真っ黒で臭くて、 その水をバケツにくんで持ってきて 「これをどう思うか!」 と言われてね。 社会科学者として、 なぜそういう問題が起こるのか、 解決する道はないかということで、 公害問題も地域経済を考える一つのきっかけになったということです。
現実が提起している問題にどう応えていくか、 どう理論化していくかが僕に課せられた課題だな、 と。 理論があって、 それを現実にどうあてはめるかという発想ではない。 解決するために現実問題の理論化が学問の大事なところではないかとわかって、 それを中心にやっていこうと思いました。 そう整理すると自分の視野が開けていく感じがしたというのが、 地域の問題に取り組むようになったときの実感です。
もう一つ契機になったのは、 地域経済の問題をどう解決していくかという場合に、 解決策が理念的になりがちだが、 これにはどうも納得できない。 その一つの解決策として出てきたのが、 鈴木文熹先生からヒントをもらった 「状態から出発する」 という視点です。 あるがままの状態をつかみ、 「そこの地域の人たちがどういう方向に進みたいと思っているかを中心に考えていく」 という、 「べき論」 から 「たい論」 への視点です。 理念としてこうあるべきだということも大事だけど、 こうありたいことを中心に分析していくことが必要ではないかということです。 理念論でやると、 建前が中心になり 「誰がやるんだ」 ということに応えられない。 本当に望んでいること、 できることから理論展開していく必要があると自分も目覚めることがあって、 もう一つ自分の前が開けた感じがします。 自分がやることでないと、 多分、 説得力がないだろうということで、 そのためには現実に入って、 悩んでいることはどこかを探ることが大事だということです。
ある山間の町でゴルフ場がほしいという運動がありました。 奇異に感じたので調査に行ってわかったのは、 彼らは本当は自分の村までの道がほしかったということでした。 道がほしいと言っても優先順位からいうとできない。 リゾート開発で 「ゴルフ場をつくってくれ」 と言えば県や国も補助を出すだろう。 ゴルフ場をつくるためには道が必要。 だからゴルフ場だと。 同じ 「ほしい」 でも、 現実の中に入って初めてわかることがあって、 そういうことを積み重ねていく必要がある。 そこにいる人の悩みを自分の悩みとして 「自分ならどうするか」 という提起でないと、 説得力のある提起にならない。 実際にやる人の気持ちをつかんで考える。 そうでないと、 いいことは言うけど、 総論は賛成だけど、 実際の問題になるとできないということになる。 本当はそこが求められていることではないかと思うんです。 ミッションは大事だけど、 実際にそこへ行くまでの過程が、 すごく必要になっている時代だなと思うんです。
地域に根ざすという観点で研究しておられるのだなということがよくわかりました。 「地域際収支」 の研究もそこから出ているのでしょうか?
地域経済の問題を考える時、 時系列的に人口や産業構造がどう変わっていくかということの考え方があったわけです。 それは大事なことですが、 もう一つすっきりしなかったのは、 もっと構造的にとらえられないか。 線として地域のあり方を見るだけではなく、 面的に立体的に見ることができないか。 面的に見た場合、 その地域はどうなっているかをとらえる方法はないかと考えていたんです。 その時に 「地域際収支」 の考え方を思いついたわけです。 1993、 94年頃です。 地域産業連関表というのがあるんですが、 これは国勢調査を行う5年ごとに人口や年齢構造の推移だけではなく、 各企業に企業活動についてのアンケートをとって集計する。 その地域で産業がどうまわっているか、 地域の人は何をどれくらい県外へ売っているか、 県外からどれくらいものを買って、 どれくらい支出しているか、 収支関係や自給率がどうなっているか、 地域の内部的な構造を把握することによって、 強みや弱みなど、 構造として地域の経済をとらえていくことができるのではないかと思った。 そこから新しい視点を出していくということを提起した。 それによって自分の視野が広がったのではないかと思っています。 しかし地域際収支を分析したからといって地域の経済を解決できるわけではない。 実際の解決策は現実に入ってきちっとやらないとわからない部分がありますからね。
「地域づくりをどう進めるか」 の4本柱をものづくり、 人づくり、 地域社会づくり、 内発的交流ネットワークづくりとおっしゃっておられますね。 とりわけ人づくりに興味があるのですが、 どんなふうに展開されているのでしょうか?
4つの柱で最終的に何が大事か。 人ですね。 ものをつくる場合でも、 ネットワークをつくる場合でも、 目標を掲げても人がいないとできません。 そういう人がどれくらい座っているかが大事だと。
一般的に言えば家庭と学校と地域で人を育てる。 小さい時から家庭で親が、 どれくらい自分の地域や仕事について想いを持って語っているかが大事だ、 と。 親が農業をしている学生に聞いたら、 親から 「農業で苦労した。 将来性がない。 サラリーマンになる方がいい。 大学に行け」 と言われるというわけです。 しかし親としては誇りがないわけではないはずで、 その想いをちゃんと伝えてほしい。 しんどいこともあるが、 楽しいこともある。 結婚して子どもを生んで、 そのために苦労してきた。 そのことを語ることが、 これからの道をつくる人を育てることになる。 それを語ってくれということを強調しているんです。 家庭で自分の仕事を語ってほしい。 あとを判断をするのは子どもですけど。
地域がどうなっているか、 学校教育できちっと教えていくことが大事だと思います。 以前の副読本がひどかった。 出てくる中小企業はボロボロで近代的な建物が大企業で (笑)。 子どもにこっちへ行けと言っても、 きれいな方に行く。 たしかにそういう側面がないわけではないけど、 中小企業にも農林業にも、 いいところや大事なところがある。 有機栽培でハチを使って受粉させるとか、 そういう面白いやり方をやっているわけだからそういうことを教えてくれ、 と。 中小企業でも世界一のところが高知でもあるわけだから。
大川村の小学校では人間の発達に応じた体験学習カリキュラムでやっています。 小学校1年生は周りの100、 200メートルにどういう商店街があって、 どういう川や山があって生きているか。 3年になると範囲が役場とかに広がる。 地域の支えあいの状態を知ることによって自分たちが支えている側面、 支えられている側面を教えることで地域を知る。 商店街が自分の周りの人たちを支え、 支えられている関係を体験としてわかる。 それを踏まえて中学生になれば、 農業だったらより科学的な体験学習をして知識としても身につける。 地域に誇りと自信と、 支え・支えられているという協同の気持ち、 感謝の気持ちを育てていく。 そういうことが学校教育の中心になっている。 高校は視野が広がる時期です。 思春期で自我が出てくる時に地域をもう一度とらえ直す作業をしていく必要がある。 自分たちがどういう範囲の人を支え・支えられているか、 もう一度科学的に、 より広域な地域の担い手として位置づけ直していく。 広い体験学習によって地域の担い手を大事に育てていくことをやっていく。 合併によって地域が広域になっているので、 その広域を見られるのは高校だと思います。 僕は高校のファンクラブをつくって欲しいといっていますが、 高校は意識的にやらないとできない。 なぜかと言うと格差があって、 だいたい郡部の地元の高校には誇りが持てないという状態が見られる。 地域の人が誇りを持って支えないと高校教育はできないんです。
高校のファンクラブとはどんなものですか?
子どもが行っていようといまいと我々の学校だ、 支えるよと、 自分たちの高校として地域が学校を育てていく。 嶺北高校がいい例ですね。 大川村の子どもたちには、 そういう意識が強いです。 村の成人式で新成人が 「僕の地元には働く場がない。 しかし僕はずっと故郷のことを思っている。 ここで仕事ができれば帰ってきます」 と言ったわけです。 これはすごいと思った。 こじんまりした成人式だったけど、 一人ひとりが故郷に誇りを持っている。 それを聞いて 「ここはどんな教育をしているのか?」 というのが、 最初に大川村へ入るきっかけでした。
あと生涯学習ですね。 とくにおじいさんやおばあさんたちが、 自分たちが持っている匠たくみの術を子どもたちに伝えてほしい。 和凧とか竹馬をつくったり、 それは子どもに人気があるんです。 そのことによっておじいさん、 おばあさんにも生き甲斐ができる。 子どもたちに、 伝統、 文化が伝わっていくので、 生涯学習の中で高齢者の出番をつくることは大事です。 自分の経験からもそう思います。
高知新聞に書かれているものなどを拝見しましたが、 文章が素人にもわかりやすくて、 先生はこんなことを考えてやっておられるのだなということがわかります。
一人ひとりが現実から出発する視点ですね。 地域がどうなっているか、 日本がどうなっているか、 学生が考えていること、 悩んでいることを吸収して理論化し、 それを平易に伝えたい。 研究者の間では、 時たま難しい言葉や新しい言葉が飛び交います。 新しい時代に切り込んでいかないといけないから新しい言葉が出てくるし、 それは大事なことだと思うんですが、 もう少し皆にわかる言葉でやる必要があるのではないかということが念頭にあります。 皆がわかる言葉で、 皆が悩んでいる言葉で語らないと、 それがどういうことを意味するかという共通の認識にならないし、 一緒にやろうということにはならない。 同じ言葉を使うけど想いが違うことがあるでしょう。 一緒にやっていく場合、 共通の想いにならないとできない。 ただ新しい時代の新しい言葉を自分自身も勉強していく、 受け止めていかないといけないという反省はありますけれど。
大学で、 地域と密着したユニークな取り組みをされているとお聞きしました。 どんなことを?
1998年から授業で高知県の各分野で活躍している人に来ていただいて、 オムニバス形式でどういう高知にしたいかを中心にお話していただく。 去年は 「高知県の将来像」 というテーマでやりました。 高知経済の中核になっている企業の社長などに来ていただいて、 日本の流通業界の流れや高知県の産業のあり方について自由に講義をしていただく。 学生だけでなく公開講座にして県民に開かれた講座にしています。 関心が高くて毎回80~100人くらい参加しています。 学生は50~60名、 あとは一般県民が来て受講しています。
高知短大の学生は社会人も多く、 学ぶ意欲が非常に強いとお聞きしています。
働きながら学ぶ、 そういう原点が、 ここにあると思っています。 自分自身が、 働いて矛盾につきあたって解決策を求めて勉強してきた。 一定の社会的経験から出てきた問題を解決するために勉強するのは本来の大学の勉強のあり方だと思います。 自分が勉強したい気持ちになって学ぶ場合と、 何となく入ってきた場合とは違うと思う。 そこで費やされる若者のエネルギーはすごい落差があると思います。 一定働いて、 社会体験をして学ぶのが健全な大学の姿だと思うし、 そういう意味でうちの大学は理に叶っている。 これからの大学のあるべき姿ではないかと思っています。
そういう大学で僕は教えられたことはよかったと思います。 なぜ僕は39年間もここでずっととどまったか。 最大の理由は高知が好きだということと、 学生がすごくよかったということ。 そのことでいつも助けられた。 これは僕の宝物で、 それが一番の基本だと思っています。
四国や高知での研究者育成についてどうお考えでしょうか?
大学での教員養成は専門にもよりますが、 一般的には縦系列になっています。 たとえば、 四国や高知へ赴任しても、 あたかもブーメランのような移動がおこるということです。 そのためなかなか地域で共同研究をしたり、 共同研究を蓄積することがむずかしい側面があります。 大学間の交流は本来自由に行なうことが必要ですが、 現実には上下関係の交流が多いのです。 そのためじっくり腰をすえて教育・研究することが難しい体制にあるということなんです。
さらには、 大学の行政法人化によって大学間の競争がはげしくなって、 地域で共同研究することが困難になっています。
一つは移動がはげしくなったこと。 二つめに大学の囲い込みが強くなったことです。
また、 大学や個人の評価で、 国際レベルの研究は評価が高く、 地域レベルの研究は評価が低いという問題があります。
ただ、 また四国の研究者が集まって研究活動をしようかという話になっているので楽しみにしています。 若い層からそういう動きが出てくる。 新しい集まりがつくられていくことは大事なことではないかと思います。
退官されて、 四銀キャピタルリサーチの客員研究員になられましたが、 どんな活動をされるのでしょうか?
四国銀行は金融機関としては高知で中心になっている銀行です。 その銀行が高知の発展のために貢献することが求められています。 銀行は人間でいうと血液の役割です。 それに相応しい銀行になってほしいし、 ならないとこれからは地域も銀行も発展できないと思います。 研究機関としても、 地域の発展のために貢献していきたい。 そこで少し協力してくれないかということです。 僕も自分の目的と研究機関が要請していることが一致するので、 研究機関の役割を果たしていけるように協力しようと思ったわけです。 高知で研究者の一定のまとまりをつくる拠点になっていくものと位置づけてやっていきたい。 それで地域に貢献することになるなら、 と思っています。
プロフィール
福田 善乙 (ふくだ よしお)
高知短期大学・名誉教授
<主な所属学会>
日本地方財政学会、 経済地理学会、 経済学教育学会、 地域地理科学会、 中四国商経学会、 四万十・流域学会
<研究テーマ>
地域経済の実態調査と地域活性化政策の研究