『協う』2007年6月号 探訪くらしとコミュニティ
「労働の人間化」 を通じた 「地域の人間的再生」
- 伊丹労働者協同組合から見る -
名和 洋人
京都大学大学院経済学研究科博士後期課程、 『協う』 編集委員
協同組合運動は、 本来 「働く人々が報われる社会」 を作り上げるために、 始められた運動であったはずである。 ところが生協にしても農協にしても、 いまだ 「新しい働き方」 を社会に示すことには成功していないというのが現状であろう。
そこで近年注目されているのが 「ディセントワーク(尊厳ある労働)」 を掲げる労働者協同組合(以下労協)である。 労働者が自分達自身で職場をつくり、 自分達自身で運営するという労協に集まった人々は、 格差社会のなかで、 現在いかに働き、 いかに生活しているのだろうか。 兵庫県伊丹市で活動する伊丹労協、 ヘルプ協会を取材した。
失業対策事業から労協へ
終戦直後の混乱の中で失業者の増加は深刻な問題となっていた。 政府も緊急失業対策法を1949年に制定して公共事業等を実施し対策に乗り出し、 伊丹市においても1950年より失業対策事業が開始された。 そこに参加した人たちは全日本自由労働組合伊丹分会 (以下、 全日自労) を組織し、 のちに伊丹地区雇用・失業対策連絡協議会へと発展させて失業問題に取り組んだ。
こうした経過をへて、 伊丹地区中高年雇用福祉事業団(現伊丹労協)は、1979年4月に“働く人たち自身による事業体”として産声をあげた。 地域の失業問題解決に貢献すると同時に中小零細企業の発展をも目指し、 「失業者に仕事を」 のスローガンのもと、 市の職員組合や企業の労働組合の支援も受けて、 地域の労働問題により積極的な役割を担うことが期待された。
この労協が目指すところは、 市民の協同の力をよりどころとして地域の多様なネットワークの中で 「新しい福祉社会の創造」 を実現していくことだ。 そのために、 「労働の人間化」 を通じた 「地域の人間的再生」 という高い目標を掲げている (日本労働者協同組合HP参照)。
伊丹労協の飛躍のきっかけは、 1967年頃からの伊丹空港騒音公害対策としての民家防音工事であった。 全日自労時代から、 こうした仕事の大手・中堅の建設会社による独占を批判し、 地元の中小企業振興と雇用創出に結びつけたいという声の高まりを受けとめて、 運輸省に対し積極的に働きかけた。 運輸省側の当初の対応は 「失業者には仕事を出せない」 という厳しいものであったが、 伊丹労協は仕事の受け皿として阪神地域開発事業協同組合を新たに設立して、 受注にこぎつけるに至った。さらに1981年には、 失業者や不安定雇用労働者が建築や造園の技術を習得できる職業訓練学校 「阪神技能学院」 を設立するという成果を生み出した。 加えて同年、 同学院卒業生の就労受け皿として 「いたみ企業組合」 を設置した。 同組合は市の5大公園の管理やビルメンテナンス、 学校給食荷受などの業務を受託して伊丹市の公共業務の一端を担うようになった。
さらに 「いたみ企業組合」 は、 障害をもつ人たちの仕事確保にも乗り出した。 現在その中心となっているのは、 社会福祉法人ヘルプ協会・小規模作業所 「のっくおん」 である。 現在、 総勢14名の仲間と4名のスタッフが除草清掃作業を受注するなどして活動している。 そのほか、 福祉施設の清掃業務や公共施設内の販売所にも派遣されて大活躍中であった。
高齢化社会を見据えて
1982年、 「いたみ企業組合」 は女性の働く場を確保するための仕事起こしとして、 ホームヘルパー業務に取り組むようになった。 高齢化社会の到来もあって1987年には60名のヘルパーを擁するまでになり、 社会福祉法人 「伊丹ヘルプ協会」 を新たに設立して独立させ、 より大きな活動に発展した。 当時は市内で訪問介護を担える事業所が2ヶ所しかなかったこともあり、 1990年代以降の、 伊丹ヘルプ協会の役割には大きなものがあった。
その後、 介護保険の導入を控えた2000年3月に4階建ての在宅複合施設 「ぐろ~りあ」 を開所した。 同施設はショートステイ入所23名の受け入れが可能であると同時に、 在宅介護支援センターとヘルプステーション、 給食事業が可能な厨房を備えている。 ここを拠点として、 ヘルプ協会は在宅介護と施設介護を柱とした地域的なケアに取り組んだのである。
逆風に直面する各事業
しかし、 以上のような積極的な事業展開も近年強い逆風にさらされている。 伊丹市の財政難のため全体の発注額が激減し、 競争入札の導入もあって、 1990年代半ば以降、 建築、 造園、 清掃などの生活関連事業が減少傾向にあることは否めない。 ここ5年ほどは以前に比べて多様な業務に取り組んでいるが、 2~3億円の事業高を拡大できないとのことだ。
その結果として、 伊丹企業組合は34名の組合員を常勤職員として登録していたが、 近年パート待遇へと変更せざるを得なくなった。 たとえば、 市内の学校給食の荷受業務は給食提供期間中は毎日9~15時の勤務であるが、 当該職員の年収は100万円弱から80万円代にまで大幅に下落した。 他方、 ビルメンテナンス業務については、 完全な入札制度となって価格競争が激化し、 落札できたとしても最低賃金ギリギリの水準でしか給与を出せない事態が発生している。 そのため、 他のアルバイトの方が時給が良いという理由から、 職員の流出という事態が発生しつつある。
同時に障害者支援についても厳しい状況が続いている。 訓練施設である 小規模作業所 「のっくおん」 における作業については、 月額1万5千円から2万円の給与が支払われているのみだ。 訓練後、 障害者が一般の会社に就職できたとしても、 一日働いて得られるのは最低賃金水準をわずかに超える額である。 障害の程度にもよるが月額で10万円程度にすぎない。
また、 福祉事業分野では介護保険制度 「改正」 の影響を大きく受けて、 ここ数年、 事業高が伸び悩んでいる。 事業収入は2000年度の4億4千万円から2003年度の6億円超にまで一旦は拡大したが、 その後は停滞もしくは減少し、 2006年度には4億8千万円にまで落ち込んだ。 結果として、 職員の給与水準は正規職員で初任給、 月額16万5千円程度、 パートで時給850円とのことで、 介護報酬が低水準にあるため定期的な昇給は事実上不可能になっている。 他業種も含めた全国の正社員全体の平均給与は、 月額男性34.8万円、 女性23.9万円、 男女計31.9万円 (厚生労働省 「賃金構造基本統計調査」 2005年) であり、 正規以外のパートの時給については、 男性1059円、 女性939円、 男女計969円 (同) であることを考えるならば、 明らかに低い。 加えて近年は、 役員報酬総額も半減となり、 職員のボーナスも大幅に削減されている。
このため、 他業種におけるここ数年の景気回復の影響もあって、 人材確保が大きな課題となってきた。 また、 入所者に慕われるスタッフの退職はそのまま利用者離れに直結しかねない。
根拠法を整備し新時代へ
以上のような厳しい状況が崇高な労協理念の前に立ちはだかっているが、 これらは日本社会全体の問題でもある。 厳しい競争社会の一方で福祉施策は貧しく、 介護保険制度や最低賃金制度の整備が不十分であることは周知の事実だ。 特に介護保険報酬の改善は、 高齢化が急速に進むわが国においては緊急の課題であろう。 まさに行政サイドの奮起と社会の理解こそが必要なのだ。 他方、 生活関連事業の縮小に直面して何をすべきだろうか。 今こそ、 まったく新しい労協独自の役割を見出していく時ではなかろうか。 かつての空港騒音対策事業や80年代に確立した福祉事業の経験をバネにできないだろうか。 私にはこう思えた。
いずれにせよ、 わが国では労働者協同組合は根拠法を持たず、 別にNPO、 組合などを組織しなければ官公庁等の仕事をうけられない弱点がある。 スペインやイタリアにみられるような根拠法の制定は不可欠であろう。 働くものの立場を尊重しつつ地域社会にも貢献する一味違う協同のカタチを、 より輝くものにしていくことが今こそ求められている。